<a href="http://ameblo.jp/fujiko-diary/entry-10352869510.html">涼秋の報国禅寺</a>
昨日、写真を撮りたくなって鎌倉へ。
『報国禅寺』
鎌倉八幡様から車を進めていくと、道がY字路になる。
そこには「岐れ道」という標識が。いかにも古都鎌倉らしい地名。
報国寺に着くと、近くに止まったタクシーの中から
「どうぞお気をつけて。またご縁がありましたら。」との声が聞こえる。
「また是非!」と言われるより、引きつけられるものがある。
縁とは、自然と引き付けあうものかもしれない。
無理に会わずとも、縁があればいつかまた会える。
ただ、今は会うべき時ではない。
会うべき時が、この先にあるかどうかはわからないけど、
それが縁。
報国寺は、別名竹寺。
竹林に一歩足を踏み入れると、そこは幽玄の世界。
強い日差しを遮った静寂の中に、笹の葉の触れ合う音だけが耳に伝わる。
笹の葉だけでは、その音は鳴らない。
風だけでも、その音は鳴らない。
笹の葉と風があって、そして聴く耳と心をもって初めて聴こえる。
そんな空間を与えてくれる場所です。
竹林を愛でながら、お抹茶をいただく。
ひとり静かに過ごすもよし。
誰かとおしゃべりを楽しむもよし。
辺りに目をやると、
苔の上の葉っぱ一枚にも目が止まる。
相手を愛おしく思えるか思えないかは、
対象物の所為ではない、自分自身の心なのだと気付く。
自分の心に余裕がないから本来見えるものが見えない。
自分の心に棘があるから、うがったものの見方をしてしまう。
緑であっても、もみじの葉っぱは美しい。
穏やかな心で見ると、世上が苦しいほどに優しく感じられる。
ごめんなさい・・・・の気持ちが沸きあがる。