悠久の片隅

日々の記録

<a href="http://ameblo.jp/fujiko-diary/entry-10499397844.html">宝。</a>

心の拠り所が無く、ふと虚無感に襲われ、

母の日記を読む。

母が残してくれた『藤子ちゃんへ』という大学ノート。

それも

本当に僅かな枚数しか書いてないのだけど、

それでも私の宝物。

皆から「藤子ちゃんはシッカリしている」と云われます。

どんな意味か、あまりにずうずうしいのか、ほんとうにしっかりしているのか、

ママにもわかりませんが、内と外とでは違うのでしょう。

ママは忘れんぼうだし、あわてんぼうだし、藤子がいるととっても気強いですよ。

長い長い人生、藤子は明るく切り抜けていくでしょう。ママと同じ様に。

あまりにずうずうしいって・・・お母さん!

ひどいわん・・・

でも、こうやって言われると、

ホントずうずうしくとも、明るく切り抜けられそうな気がしてくる。

今までも明るくとはいかなくても、それ程凹むことなくここまでこれたのはやはり母譲りなのかなと、

心強く思う。

ハイヒールにねんねこで保育園からの冬の夜道を歩いた。あの時の大変さは忘れたくないと。

大変な思いをして仕事を続けた母には尊敬と感謝です。

すごく頭の良い人でよく勉強もしてた。よくお洋服も縫ってくれた。

私は何百年生きても母には絶対敵わない。

親を尊敬出来るって

有り難いことだと思ってる。

母を苦手に思うこともいっぱいあった。でもやっぱり尊敬してるルンルン

父親の日記は、相当年数あるんじゃないかな。

まだ開くこと出来てない。

父親に関しては、私はダメだね。なにかを克服出来てない。

日記は人に見せるものではないからね。

そのまま焼いてあげたらいいのかな。とも思う。

ともかく私が死ぬ前にはすべて処分しないとだ。

PCでもいいけど、出来れば自筆で子供に残してあげて欲しいと願う。

疲れたら、疲れた字でいい。その時の思い、子供に残して欲しい。

自分が道を上手く歩いている(つもりの)時はそのノートの存在など忘れているけど、

つまづいた時、その有り難味に気付く。

私はこの歳になってもまだこのノートに支えられてる。

わずか1枚の手紙でもいいと思う。

どうにもならない孤独を救ってくれる時があるんじゃないかと思う。

「毛虫の園だよ。ほらね、たくさんいるよ。みんなふわふわな毛だよ。」ニコニコしながら藤子は云う。

藤子の帰りの遅いのも、こんな所で毛虫を数えたり、何か楽しい毛虫の物語を作って、

遊びながら歩いているのに違いない。

早足で抜ける私と、楽しい毛虫の園を散歩道として歩く子供。

「厭なもの」「汚いもの」それは大人が決め付けたものかもしれない。

或る日藤子がネコを抱えて帰ってきた。

見ると死んだ子猫だった。

怖い、気持ち悪いでなく、かわいそう・・・その思いなのでしょう。

子供の尊い思いを大切にしたい。

自分の知らない自分。

忘れてしまっている自分。

そんな時もあったんだなーって(笑)

人間、元々は皆天使(笑)

そのことにちょっとホっとする。

今は毛虫を数えることも、死んだ猫を連れて帰ることもない。

大人って残念な生き物ね。

今日から藤子は一人で学園に通いました。

駅名を書いた紙と十円玉と五円玉をお財布に入れ、喜んで行きました。

無事に着くことを祈りました。

子供にとっては一人がどんなに誇らしく そして少し不安だったり

でも藤子のうしろ姿を見ると頼もしく安心できます。

大丈夫。

幼き日に出来たこと、今の私にもきっと出来る。

孤独に苛まれる時もあるけれど、見えなくてもちゃんとうしろで支えてくれる人がいる。

私は、自分で歩いてゆける。

でもね、

私憶えているの。

電車が目の前で行ってしまって

車掌さんに「次の電車に乗ってね。」と声をかけられたこと。

私、エンエン泣いちゃった。

泣いちゃったけど、次の電車に乗ってちゃんと行けた。

今も

そんな感じなのかなって思う。

ずっと私の手を引いてくれた人。

今その人がいなくなって、私は甘えるとこがなくなった。

そのことは寂しく思う。

でも孤独と一緒に歩いていく勇気を持てた自分を、宝に思う。

この宝物2度と手放したくない。

手放したら最後、もう2度とコチラの世界には戻ってこれない気がするの。

孤独と共に歩く。妙な二人連れだが覚悟さえ決めれば歩いてゆける。

泣いても、立ちすくんでも、道はコチラで合ってる自信あるから。

ようやく見つけた道、この道こそ無駄にはしたくないんだ。