悠久の片隅

日々の記録

<a href="http://ameblo.jp/fujiko-diary/entry-11213227840.html">探し物</a>

読んだ本、随筆。

芥川龍之介羅生門』『鼻』

井上ひさし宮澤賢治に聞く』

宮澤賢治銀河鉄道の夜』『風の又三郎

徳富蘆花『草取り』

幸徳秋水『死刑の前に』

夏目漱石夢十夜

適当に家にある短いモノを読み散らかした。

私は何かを求めてる。

何かを埋めたくて探してる。

いつ見つかるか、本当に見つかるかもわからないけど。

旧仮名遣いで読んでいるので読めない字もあるけど

前後から判断して適当に読んでる。

『森(しん)として、』

など見ると

その静けさに『生』が吹き込まれる。

アルファベットに無い微妙な深みを感じます。

『体』という字は

昔は『體』骨(ほね)に豊(ゆたか)。

漢字の簡素化はありがたい反面、

『モノの本質が見えなくなる』

確かに

『体』を現すのに『骨』というのは、グロテスクです。

あまり良い印象は無いですが

でもそうやって、

見たく無いモノから目を反らしていった結果

肝心なことがボヤけてしまったのが、今の社会かなと感じます。

嫌でも何でも

人間は最期には『骨』になる。

みんな一緒です。

そんな悲しみも漢字は持っています。

だから日本語は情緒があるのだと思います。味わい深いです。

なのに

私は『英語』を勉強しようと、また今年もあがいてる(笑)

人は

『欠けてるものを強調する傾向にある』らしいので、

やっぱりそこ(英語)から抜け出せずもがいてしまうのかな。

もう歳も歳なのだから、出来ないものに時間をかけてる場合でもないのに困ったものです。

しかも欠けているとこばかりで、あっちもこっちも埋めたくておかしくなりそうです。

いい加減足りないところは足りないものと自己を認めて、雑念は捨てないといけないな。

あれこれと、めちゃくちゃに読んで感想書けるほどわかっちゃいないけど、

何かひと言でも感じたことを残しておくのが良いと思うので、やっつけ仕事のようだけど

あとで覚書きとして何か書いておこう♪

久しぶりにカメラ持ってお散歩

藤子のブログ

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今夜は9時就寝(笑) おやすみなさいニコニコ