悠久の片隅

日々の記録

<a href="http://ameblo.jp/fujiko-diary/entry-11300281285.html">シーシュポスの神話</a>

シーシュポスの神話 (新潮文庫)/カミュ

¥540
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いきなり、

『不条理と自殺

真に重大な哲学上の問題はひとつしかない。自殺ということだ。』

で、始まった。

あれー

カミュは自殺を哲学の中心に据えてるのか?

と言うより、

この本は、全編が不条理の論証で、

『シシュポスの神話』は、最後の方の8頁だけ。

それでも、『シシュポスの神話』というタイトルにしたのは、

そこまでの全部を読んで、初めて『シシュポスの神話』に辿り着けるということなのだろうか。

それでも、『シシュポスの神話』の部分だけちょっと読んでみた。

ちょっと・・・と言いながら5回読んだ。

何回読んでも難解(笑)

わからんな・・・

いや、わかってる・・・

んんん?

わかってるのか、わかっていないのかもわからなくなったあせる

藤子のブログ

『地獄におけるシシュポスについては、ぼくらにはなにひとつ伝えられていない。

神話とは想像力が生命を吹き込むのにふさわしいものだ。』

うんうん、

うんうんうんうんうん。

私の感じるシシュポスとカミュの感じるシシュポスは違うし、

1人1人、皆違う。

正解はない。

『神々がシーシュポスに科した刑罰は、

休みなく岩を転がして、ある山の頂まで運び上げるというものであったが、ひとたび山頂にまで達すると、

岩はそれ自体の重さでいつもころがり落ちてしまうのであった。

無益で希望のない労働ほど怖ろしい懲罰はないと神々が考えたのは、

たしかにいくらかはもっともなことであった。』

カミュは、シシュポスが転がり落ちる岩に向かって降りていく所に一番関心がいくという。

物語りにその様子はひとことも触れてはいない。

カミュの目は物語の書かれていない部分を情熱をもって見つめている。

たとえ、未来永劫それが続くとしても

くだる時のシシュポスは、ホっと息をついているに違いない。

その先に不幸が待ち構えていることがかわっていても、くだりは天国。そこを幸せに感じている。

人は、下り坂分の幸福しかない。

一切が不条理に包まれたものではあるけど、間違いなくそこは幸せなのだ。

そこに幸せがあるという気持ちになれたということは、すべてにおいて幸せなのだー。

ってことでカミュさん、いいかな。

そうだよなー

この物語は、最初から最後まで上り坂でないとこがミソなのかも。

この物語の特徴は、

シシュポスがいったいどんな罪を犯したかに関して、誰も言及してないとこだと思う。

私も読んだけど、かなり曖昧。

曖昧ってことは、伝えられていく中で、皆がそんなことはどーでもよくて、

シシュポスが悪人でも善人でもこの物語には一切関係無い。

シシュポスの岩の重さは、

生まれてきた時にすでに背負わされてる理不尽であるかもしれないし、

生きているうちに背負わされた理不尽かもしれない。

でもその理不尽さえ、人に幸せをもたらすのだ。