グラントリノ
- 出版社/メーカー: ワーナー・ホーム・ビデオ
- 発売日: 2009/09/16
- メディア: DVD
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クリントイーストウッドの圧倒的存在感。
身に纏う空気が違う。
ポーランド系のコワルスキー(クリントイーストウッド)は、フォード(エンジニア)を退職した元軍人。
過去の朝鮮戦争で自分が犯した罪に苛まれ続けている。
息子や孫達とも心を合わせず、ひとり頑固に暮らす。
隣に住むモン族の家族はベトナム戦争後迫害されアメリカにきた。
アメリカに移住してきたアジア系少数民族の様子がよく出てる。
彼らは、アメリカに来ても一族郎党で集まって暮らし、頑なに自分たちの言葉で話す。
気の弱いアジア系は、なかなかアメリカに溶け込めない。
アジア系民族は礼を重んじるから、中国は礼は倍返しだけど、この映画だと10倍返し(笑)
外へ出るのではなく、家でご馳走をするのがおもてなし。
しかも、隣人への礼をお手伝いという労働奉仕で返すのも、
心と物で全てを片付ける日本人にはなかなか無い所に思う。
うちがオーストラリアで借りてた住まいも家主が中国人だったから、
キッチンの広いこと(笑)10畳以上あったと思う。動線が1人で使うキッチンではない。使いずらい。
この映画のように、大勢人を招いて食事でもてなすことを心としているから、こうなのだと思う。
モンは土地の名でなく高地民族のこと(満州も土地の名ではない、民族の名称)
最初は異文化で反目しているコワルスキーとモン家族がお互いを少しづつ知り、
お互いのペースで打ち解けていく様子がいい。
これが人間形成で日本人が持てないものだと思う。
文化が違うと、反目が必ずある。
相手の原理に対して間違いがあれば、他人でも年齢関係なくこっぴどく叱られる。
日本人はこんな風に叱られたら、深く傷つき、多分もう付き合えない。
でも海の向こうの他民族の国では、お互いの原理を遠慮なく主張しながら理解を深めていくのであって、
この誰彼かまわず遠慮なくモノ言う習慣を日本人はもっていない。
遠慮なく言われることに耐えられる神経がない。
それがよくもあり、卑屈なところでもある。ぶつかり合って初めて生まれてくるものを知らない。
ノーと言う相手を受け入れる度量が出来てこない土壌だと思う。
家康には、それがあった。
家康の家来の半分は、一向一揆で、家康の軍に向かってくる。
家康は生きている時には大将だけど、阿弥陀如来は死んでからも自分の大将なのだから、
一向宗の家来にとっては、そっちのが大事。家康を敵にすることも厭わない。
家康はこの一向一揆にずいぶん酷い目にあった。
でも戦が終わると、家康はその家来たちを又、受け入れた。
お互い原理(宗教)が違う。彼等には彼等の『道』があることも認めなければやっていけなかった。
その後、一向一揆の頭領、本多正信に家康は一番の信頼を置くのだから、やはり家康はすごい。
この一向一揆の試練で家康は人間形成され、懐が深くなったと思う。
中国系の少数民族(中国、ベトナム、タイ)の良き所は、自分なりで暮らしていけることで、
隣で裕福に暮らす民族がいても、自分たちの生活様式で生きている。(と、これは司馬遼太郎が言っている)
彼等はスレないという意味で、コワルスキーの原理と通じるものがある。
逆にコワルスキーの息子や孫たちは、日本車やへそピアスに流され自らの文化を見失った異民族と化してる。
自分の子供より、他民族との方がより近く感じていくのは、変わらぬ大事なものを守り続けているからで、
どの民族であっても、流されていく人間と、守りたいものを守っている人間がいる。
この映画は、アメリカそのもの。
様々な人種が出てくる。人種に対する偏見と相互理解、暴力、銃、それに隣人という赤の他人との横社会。
コワルスキーの愛するものは、煙草とライターとビールとグラントリノ。
フォード車というアメリカの誇るものが、トヨタ車という手軽さに様変わりしていくのと同時に
人の心や行動も変わっていくのが伝わってくる。
それと、この作品では宗教の描き方も面白い。
コワルスキーは、結局神が自分を救うなどとは思ってない。が、最後教会へは行った。
でも彼が本当の意味で懺悔を行ったのは結局神父でなく、モン族の男の子へだった。
本当の苦しさは、戦争で人を殺したことより、それによって国から勲章を与えられたことなのだと。
モン族の男の子の名前はタオ。タオとは、老子の言葉で『道』
この映画の命題は、タオ(道)だと思う。
世間の知識だけが絶対じゃあないんだ。
他人や社会を知ることなんて
薄っくらい知識にすぎない。
自分を知ることこそほんとの明るい智恵なんだ。
他人に勝つには
力ずくですむけれど
自分に勝つには柔らかな強さがいる。
頑張り屋は外に向かってふんばって
富や名声を取ろうとするがね。
道(タオ)につながる人は、
いまの自分に満足する、そしてそれこそが本当の豊かさなのだ。
その時、君のセンターにあるのは
タオの普遍的エナジーであり、
このセンターの意識は、永遠に伝わっていく。
それは君の肉体が死んでも
コワルスキーのそういう生き方をクリントイーストウッドが演じ切ってかっこいい。
そして、ラストは泣いちゃった。
テーマは重いが、エンターテイメントとして描けるのがアメリカ映画のすごいとこ。
クリントイーストウッドの作品もっと見たいな。
アメリカの銃、暴力映画は好きじゃない。気分が悪くなる。
この映画も暴力が出てくるとは知らなかったから見てしまったけど。
アメリカ人だって暴力なんて好きじゃないと思うけど、銃と暴力抜きでアメリカは語れないのが現状だと思う。