悠久の片隅

日々の記録

試練

政見放送みようと思って朝NHKをつけたら、ニュースをやってた。

政見放送は、見るべきものは何も無かった。

いや、問題はニュースの方。

学校で、生徒が授業に集中出来るように、

授業中、黒板以外の部分に白いカーテンをして、余計な掲示物が目に入らない工夫をしていた。

なるほど・・・・・

教師はいつからこんなマヌケなことをして、

NHKはいつからこんなマヌケな放送をするようになったんだ?

それとも私の感覚がおかしいのかな。

自分たち(子供たち)にとって、不利益なものを排除するから世の中おかしくなる。

家に帰れば赤ちゃんの泣き声でにぎやかなおうちもあると思う。

うるさいからって、赤ちゃんの口を塞ぐの?

世の中には、自分に不利益なことがいっぱいある。

それと折り合いをつけて生きていかなきゃいけないのに、

学校とは、そういう社会性を身につける場であると思う。

掲示物が、集中力の邪魔になるなら、

窓の外の流れる雲も、ポツポツ降る雨も、友達の鼻息も、先生のくだらないジョークも、

何もかも排除出来るとでも思っているのかな。

こんなことしてたら、

うるさいから→勉強出来ない、とか

○○だから→△△だ。という言い訳三昧で、

世界が自分中心で回ってる子になってしまうじゃない。

学校は、学ぶ場です。

学ぶというのは、試練を与えられることだと思う。

大人になるとわかる。失敗や他人の叱責から多くを学んでいることを。

決して愉快なことじゃないけど、でも成長には必要不可欠なこと。

でも今は、怒れないし、失敗もさせてはいけないんだね。

試練を与えずに、試練を学校が取り除いてあげてしまっている。

いったい何を育てているんだろう。

これでは、将来大変。温室を出たとき、どうやって生きていくの?

いつも白いカーテン持って歩くのかな。

それに、

黒板以外の部分が白い布で覆われてる光景は、異様です。

何故異様かというと、それが自然ではないから。

壁にカーテンなんて、どこの世界にある?

人間に不都合なことは、全部社会の方を変えてしまおうとした結果が

今の日本の姿なのに、まだ何もわかってないのかな。

子供は夢中になって遊んでいる時には、おしっこだって忘れる。

この集中力は、大人にはもうない。

生徒が集中出来ないことを掲示物のせいにして、問題の解決に近づいていると思ってるのかな。

問題は日常のもっと根深いところにあると思う。


文化人類学入門 (中公新書 (560))

文化人類学入門 (中公新書 (560))

今、この本を読んでいて。

チンパンジーが手話を憶える話があるのですが。

手話を憶えたチンパンジーは犬にも一生懸命手話で話しかける。

もちろん、犬は理解出来ないのですが。

たまらないかわいさ♪

自分の気持ちを伝えたいというのは、こんなにもいじらしい。

ここで思うのは、

たとえば人間対人間でも、

いくら自分が100%の誠意と努力で相手に伝えようとしても、

相手のことを知らなければ伝わらないということ。

相手が、何で出来ているか、何を背負って生きているか、

そこに同調出来て、初めて意思疎通(会話)が成り立つのではないかと。

自分のアピールは2の次。

このチンパンジーの実験の主旨は、そんなことではなく、

人間と他の動物を言語で区別する意味の話なのですが、

ここでもう1つ気付くのは、

子供の時は何故勉強に興味が無いかというと、

勉強が自分とかけ離れた存在だからに思う。

大人になると、

世の中の全てのことが、自分とリンクしていることがわかるから、

何を学ぶのも、全部自分の存在と切り離すことが出来ない。

自分を中心に置いて学んでしまう。

でも子供は、自分と学んでいる対象が、一番遠い存在なのだと思う。

子供は殆どが未知の世界(大人も殆どが未知の世界なのだけど)

それでも自分の経験、生活と、無関係であるものが無くなる。

だから、何でも興味深い。

子供もきっと、自分と対象物が密に繋がっていると気付けば、

興味が出て、学ばなければいけないと気付くように思う。

そんなこと言っても、

子供にとって勉強なんてごく一部の人を除けば苦痛でしかないですけどね。