悠久の片隅

日々の記録

ちいさなモンスター

早朝ひんやりした空気の中の庭の見回りが楽しい。

100本以上のヒマワリもスクスク育っている。

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梅雨時、蒸れなければよいのだけど・・・と、心配は尽きない。

ヒマワリの先の花壇には朝顔と黄花コスモス。

ヒマワリの手前の花壇は掘り起こしたら

丸々太ったコガネムシの幼虫が10匹くらい出てきた。

横を毛虫も歩いてた。

あまり歓迎したくないものばかりだけど、

夏に向かって私のコロニーも賑やかになってきた。

こんな小さなコロニーでも、何十種類もの動植物が混在している。

なんでこんなに色々いるんだろう。

進化って・・・こんなに分岐していったのはなんでなんだろう。

種の存続目的だけで、こんなとっちらかったような進化になったとも思えないのだけど。

様々な動植物が、様々な生き方をしている。

お互い迷惑かけあいながら共存共栄。

他を受け入れる強さが優しさなんだろうなー。


犬がしっぽをプリプリ歩いている。

そして健康的なうんちをした。

腸が動き出したんだね。

昨日まで、ほんの小さな変化にもビクビクして、心が壊れそうな日を過ごしていた。

何度も何度も期待を裏切られ、希望を捨てようかと思った時もあった。

どこにも逃げ場はないのだから、私が強くならなければいけないのはわかっていても、

思ったから強くなれるわけでもないことを知った。

これからだって、覚悟なんて出来ない。

消えそうな命の前では何も助けにはならないことを知った。

でも、私が思うより命はずっとずっと強かった。

昼間アメリカのドラマ『クリミナルマインド』をみていた。

このドラマは最後に格言が流れる。

『さっき言った様にその日起きた事をうまく言い表す言葉が見つからない時がある 時として一日は突然終わる』

さっきまで生きていたごく普通の人間が、なんの前触れもなしに命の終わりを突然迎えることもある。

うちの父母のように。

だからといって、

毎日を大切に生きるなんてそんな殊勝な心構えなど私には出来ない。

なにもかもわかったとしても、それでもどうにも出来ない現実がある。


カーペットをめくって、布団代わりにして眠っている。

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ソファーカバーを引っ張って、布団代わりにして眠っている。

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眠る前には必ず自分でベッドメイキングをしている。

犬用のベッドも用意してあるのに、そんなものは一切頓着なし。

自分の好きな場所で好きなベッドを作ってる。

本当にこの子は痴呆症?

おしっこもうんちも失敗ばかりだけど、

それも確信犯に思えてきた。

『とにかく生きていてさえくれれば』と甘やかしてしまったからなー。

甘やかせば、モンスター犬になってしまう。

すでにモンスター化している。

それほど元気になりました☆