悠久の片隅

日々の記録

恋愛の武士道

先週体調崩したのに加えて、少し凹むことがあって、

なかなか気分が上がらない。

気分転換に

鎌倉にカメラを持って出かけたり~

横浜へお買い物に行ったり~

どこかの音楽会行ったり~

と、気分転換の方法はいくらでもあると思うのだけど、

心の中の黒い部分を白くなんて上書き出来ない。

黒は油性、白は水性の絵の具で、はじかれちゃう。

白い色は、黒で簡単に上書きされちゃうのにね。

ただ、

上書きでなく、

オセロみたいに黒そのものを白に転換させることは可能で、

起こった事実は変えられなくても、考え方を変えればいいんでしょ。

わかっているけど、

でも、アロンアルファでくっつけたのか、

このオセロ容易にはひっくり返ってくれない。

脳内でぐちゃぐちゃかき回していても、結局は何も変えられなくて、

身体を動かすほかないんだと思う。

何かをしているうちに、そちらに神経がいって、また新たに起きた問題に気を取られたり

ほぐされたりで、

気づけば、心の黒い部分にも埃がかぶり、もうオセロだか碁石だかわからないものになる。

それが『時間が解決する』ということなのだろうけど。

良いことも、悪いことも、過ぎ去ってみれば、セピア色に落ち着いていく。

夏のはっきりくっきりな緑もいいけど、

秋の枯葉色に心のピントが合うのは、積み重ねた人生の色と同じなのだと思う。

光り輝くような過去の出来事も、寂び色になって、なんとなく身に馴染んでいく。

たとえばー

車を買えば1年。家を買えば10年は幸せでいられるんだっけ?(笑)

黒の上にのせる白は、いっときのカンフル剤でしかない。

恋も同じ。

会ってる時は世界はバラ色になるけど、家に帰ってひとりになれば、余計に寂しさが募る。

幸せは状態でしかない。

恋は都合のいい部分だけでなく、都合の悪い部分もひっくるめてのことだから、

それが嫌なら恋なんて無理。

恋をするのはいいんだけど、

恋なんて追いかけて捕まるものでなし、ある日突然に天から舞い降りてくるかもしれないし、こないかもしれないし。

文章読本』の中の宇野千代のエッセイ。

『追いかけないのが、恋愛の武士道である。

一人の人を思い詰める、と言うのは、言葉で聞くと美しいように聞こえるが、決してそうではない。

思い詰めて死んでしまいたい、などと言うと、なおのこと美しいように聞こえるが、決してそうではない。

死ぬなどと言うのは、ある意地悪な気持ち、当てつけでさえある。』

言うことも文章もかっこいい。

ひよっこの女性からは出てこない言葉。

逃げる男を追いかけるより「一番良い着物を着て、美容院に行ってみなさい」って。

シャン!と背筋が伸びる気がする。

女にとって、想いを断つのは、死ぬよりつらいことかもしれないけど、

いや、死ぬよりつらいは無いわ。

私も気が滅入ってるなんてブツブツつぶやいている場合ではなかった。

宇野千代の言葉に「しっかりしなさい!」と、背中を叩かれた気がした。