悠久の片隅

日々の記録

君が僕の息子について教えてくれたこと

NHKの『君が僕の息子について教えてくれたこと』をみながら涙ボロボロ。

自閉症の直樹君。

発語はない。

こだわりが強い、問題行動をとる、

変な言い方をすれば、普通の自閉症の少年。

でも直樹君は、パソコンを使って自分の気持ちを語ることが出来るようになった。

彼の書いた本は世界でベストセラーとなっている。

彼の優しさ、感性の瑞々しさ、そして自閉症の子の心のうちに、心を揺さぶられる。

なんで会話は出来なくて、パソコンだと言葉が出るのか。

それについて、直樹君は

「他の人の記憶は線になっているようだけど、自分の場合は記憶が点。

点が散らばっている。言葉にしたくても言葉が引き出せない。パソコンなら視覚で確認出来るから、言葉にしやすい」

そのような感じで、パソコンを使い語っていた。

さっき聞いたことと、今聞いたこと、同じことでも同じ引き出しには入らないのかも。

例えば私が分類ごとに引き出しに入れていたりするものでも、

もっと別な種類分けがされているのかな。

なんで、話していけない時に話してしまったり、とってはいけない行動をとってしまうか。

については、

「自分で話したいと思う言葉が出てこないで、勝手に違う声がどんどん出てきてしまう。

やってはいけないと理解はしている。でも自分で自分の感情や言動のコントロールが出来ない。

それがなんでだかは自分でもわからないです」と語っていた。

脳の検査をしてわかったことは、

彼は脳のある部分に欠けている部分はある。

あるが、その分『人の意図することを受け取る能力』の部分が発達していることがわかった。

彼のもつ内面、表現の豊かさは、そのことによるらしい。

何が欠けているとかでなく、

何かに長けているから、他の部分のスペースがちょっと足りなくなっちゃったね。

と考えたい。

その脳の検査も、

彼にとって長時間じっとしていることは困難です。

検査によって、原因がわかるかどうかもわからない。治療が出来るかどうかもわからない。

「それなら何のためにその検査をするのか?」と問う彼に医師は

「検査をすることで、今は無理でも10年後20年後何かがわかるようになるかもしれない。

他の自閉症の人のためになるかもしれない。」

それを聞いた彼は検査に同意する。

彼は、人が喜んでくれることが一番の喜びなのです。

自閉症の子どもをもつアイルランドの父親が彼に尋ねる。

「僕は息子にどんな手助けをしたらよいか」

彼は語る。

「今のままで十分です。父親の笑顔が一番うれしい。

自分自身の辛さは我慢出来るけど、家族が僕のせいで苦しんでいるのは耐えられない。

あなたはそのままで十分です」と。

桜を見て美しいと思う。

だけど長くは見ていられない。何故なら心がざわざわしてしまうから。

それがどうしてかはわからない。

わかっていることは、僕は桜の花が大好きだということ。

絵を描いていると、僕は絵の具になってしまう。絵の具になって紙の上を自由に走り回っている。

自閉症の僕が跳びはねる理由―会話のできない中学生がつづる内なる心/東田 直樹

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僕たちは、自分の体さえ自分の思い通りにならなくて、じっとしていることも、

言われた通りに動くこともできず、まるで不良品のロボットを運転しているようなものです。

いつもみんなにしかられ、その上弁解もできないなんて、

僕は世の中の全ての人に見捨てられたような気持ちでした。

僕たちを見かけだけで判断しないで下さい。

どうして話せないのかは分かりませんが、僕たちは話さないのではなく、話せなくて困っているのです。

自分の力だけではどうしようもないのです。

自分が何のために生まれたのか、話せない僕はずっと考えていました。

僕は筆談という方法から始めて、

現在は、字盤やパソコンによるコミュニケーション方法を使って、

自分の思いを人に伝えられるようになりました。

自分の気持ちを相手に伝えられるということは、

自分が人としてこの世界に存在していると自覚できることなのです。

話せないということはどういうことなのかということを、自分に置き換えて考えて欲しいのです。

東田直樹 オフィシャルブログ 自閉症の僕が跳びはねる理由