悠久の片隅

日々の記録

砂の城

お掃除を済ませ、窓からの秋風に心が浄化される。

何でもない時間だけど、かけがえのない時間。

もったいないほどの時を過ごしています。

中東の果てのない紛争。

なんで?どうして?とどうしてもそこで止まってしまう。

でも、それは

今私がこうして穏やかに過ごしていることへの

なんで?どうして?に繋がっていく。

なんで日本はこんなに平和なの?

日本だって、問題がないわけではない。問題は山積みです。

多分、問題など無くたって、探してまで問題を作っている部分もあるのだろうけど。

社会保障も最低限というより、十分(どれほどが十分かはそれぞれとは思うけど)受けられる。

言論の自由もある。

そして国民が武器を持たずに暮らしている。

何より戦争放棄を宣言している。

こんな国、世界にない。

広い世界からみると、日本は資源に乏しいちっちゃな島。

世界では日本なんて国、知らない人の方が多い。

これは世界地図。

ただし、領土でなく国民総生産による、世界地図。(2000年)

何を豊かというかは、それぞれとしても、世界レベルではこれほどに豊か。

戦争放棄していることも、武器をもたずに暮らせることも、言論の自由も、

国民総生産の高さも、日本はすごい国です。

でもそれは鉄壁のすごさではなく、砂の城

いつ崩れるかもしれない砂の城みたいなものだと思うのです。

どこからでも崩れるかもしれないそれを、日本人はギリギリの線で操作してきたように思う。

日本は資源に乏しい。

石油だって、限りある資源であることを考えれば、

中東は平和になるというよりこの先益々混迷を深めるようにも思う。

もし日本に資源が豊富なら、日本人はこれほど勤勉にはならなかったかもしれないし、

アメリカ、ロシア、中国間で日本の領土争いをしていたかもしれない。

何もないから人間が頑張るしかなかったし、領土の奪い合いもされなかったのかもしれない。

それなのに、自分たちを過信し今以上の城、鉄壁の城を望むと、

足元からすべてが崩れてしまうのではないかと不安にも思う。

元は、すべて砂でしかない。

今ある平和は、すごく微妙なとこでの安定。

自衛隊の問題。原発の問題。すべて曖昧なままな中で平和は保たれてきた。

その曖昧さに白黒つけた時、そこに本当に平和はあるのか。

元々が砂でしかない危うきものに机上での論理、完璧さを求めた時、どうなるのか。

先を思うといろいろ不安にはなるけど、

戦争を放棄している国がある。武器を持たずに暮らしている国がある。

それを一番の誇りとして世界に胸をはって生きていくこと、

それが日本人が歩んでゆかなければいけない唯一の道で、

いつか世界中で、武器と戦争が無くなること。それを祈るほかない。