悠久の片隅

日々の記録

弊害

西郷隆盛池波正太郎)読了。

幕末を読み漁っているうちに、この時代の毒気に当てられたというか、酩酊状態。
司馬遼太郎は、昭和という国家という書の中で、
日本がわけのわからない戦争をするようなバカな国になったのは、
明治維新に起因しているのではないか。と。
明治維新は立派な革命でも、その思想は尊王攘夷
「王を大事にし、夷(えびす)を打ち払う」という枯れた思想。
よく考えると、
いや、よく考えなくても、このイデオロギーで、新しい日本を作ったのですから、
いえ、
尊王攘夷は「がんばれニッポン」のようなスローガンであって、
列強からの植民地支配への恐怖で、国が動いた。
出来た国は、ヨーロッパアメリカから、新しいものをどんどん取り入れ内需拡大し、列強と相対せる国、いや、それ以上の国を目指した。
その当時の思想は貧しくても当時の人びとが立派であった。
また、自分たちの手で作った国であるという自負から国を大事に思う気持ち、

愛国心が生まれた。

でも、その人たちの時代が過ぎたのち、

尊王攘夷愛国心は、その盲点をついた形で残り、利用されてしまった。
時代が人を作る。
明治維新は人びとが立派なのであって、
革命とは力づくのもの。
無理がある。矛盾がある。
その弊害が時を経て、国が太ると共にとんでもない化け物となって日本国を覆った。
日本はアメリカに負けた。
日本は敵であるアメリカによって、日本帝国の呪縛からようやく解放されるに至った。
そして、日本の過去を否定する教育がされている。
否定するだけの教育というものの弊害を今感じる。
どれだけ良いことでも弊害はある。
長いスパンで物事を見ることの重要性を思う。