悠久の片隅

日々の記録

ダウントンアビー

イギリスのテレビドラマ『ダウントンアビー』を見始めた。

日本でいえば、大河ドラマかな。

物語は、タイタニック沈没事件から始まる。

それっていつの時代?!

日本のドラマなら見ていれば、戦国だー、鎌倉だー、と、だいたいはわかる。

わからなくても、なんとなく観ることが出来る。

でも、日本以外の国は予備知識を仕入れないとさっぱりわからない。

タイタニック沈没といえば、レオナルドディカプリオしか頭に浮かばない。

仕方ない、Wikipediaで調べました。タイタニック沈没は1912年。

ドラマの中で娘が「タイタニックは沈まないのでは?」と問いかける場面があります。安全神話ですね。

それに対して「登れない山があるように、沈まない船はないよ。」と父親は答えています。

日本ではあまりない会話です。

文明が高度になると、人間は怖れを忘れてしまう。

文明が高度になっても、人間は人間の肉体のままであって、

鋼になったわけでも、羽が生えたわけでもないのに、怖れを忘れてしまう。

この時代、一番下っ端の女中さんは電気をつけるのさえ怖がっています。

タイタニック沈没は、日本でいうと大正元年。

第一次世界大戦に突入し、日本がどんどんおかしくなっていく時代。

中国は中華民国元年。清朝の終焉。

世界が大きく揺れ動く時代。

そんな時代背景をもって『ダウントンアビー』は始まる。

ダウントンアビーとは、貴族の大邸宅、お城で、

そのお城に住むクローリー家の相続問題と、渦巻く人々、そこで働く使用人たちの人間模様が

描かれています。

司馬遼太郎いわく、普通、革命とは革命前の文化を受け継ぐそうです。

日本の場合、敗戦後、アメリカにより江戸時代をすべて否定されてしまった。

すごいですよね、敵国に対してこれほど従順な民族って。

今となってはもう笑い話としか思えないのですけど、

それほど日本軍というものが悪で、極悪日本軍よりアメリカの方がマシだったのでしょうね。

日本人はエコノミックアニマル、ワーカーホリックと揶揄されますね。

欧米からみると、仕事依存症だと。アホかと(笑)

イギリスの場合、紳士たるものは、あくせく働かない。

そういう精神が今のイギリスにもあると思います。

面白いですね、文化とは説明のつかないものだと司馬遼太郎は言ってます。

大雑把にいうと、文明は物質的なもの。文化は精神的なもの。

文明は容易く広がるが、文化は特定な場所で育まれた精神を伴うもの。

文明は合理的なもので、文化は非合理でしょうね。

「火を使うこと」は文明で、文化じゃない。容易く広まっていくものです。

でも「茶道、芸術、」など文化は、何故あるのか、どこが良いのかと追及したところで、万人に通じる解答は無い。

自分が快感を伴うから。としか言いようがない。

イギリスの紳士は働いていないことがステータス。

でも多くの使用人を雇い、優雅さを保ちながらお城に暮らすというのは、現実的には相当なお金が必要であって、

それ故に当主ロバートはアメリカから大富豪の娘を嫁にもらった。

すごく・・・すごく・・・当時の雰囲気感じます(笑)

財産目当ての結婚。

ゲッ・・・と、思うけど、ロバートは言う。

「自分はこのお城の管理人に過ぎない。何代もかけて築き上げた(城)努力を守ることが自分の人生のすべて」と。

こういうよその国の文化に触れられるから、海外ドラマが好き。

文化が好きとは違うか。文化を大切にしている人たちが愛おしい。

日本は新しい家が好まれます。新しければ新しいほど快適に過ごせるところがいいです。

でもイギリスは古いもの、歴史あるものが尊ばれ、好まれる。

これは文化の違いで、話し合ってどっちが良いかという問題ではない。

そういうモゾモゾした(笑)説明つかない、でもそこの人たちが大切に思っている心がたまらなく好きです。

非合理なものを後生大事にしているって、何にしてもいじらしいですから。

人は、多分どの世でも、どの地でも、不合理なものに縛られ、そして不合理なものに支えられ、一生懸命生きている。

誰にしても、生きていくのは大変なことです。

それを思うと、人間はたまらなくいじらしい。

人間以外の動物は多分、意味の無いことはしない。食べるため、生きるための弱肉強食。

なんでだろう。なんで人間だけ精神が発達したのかな。

もし人間に強い角とか鋭い牙とかあったら、脳みそは小さいままだったのかな。

なんだかダウントンアビーのストーリーとはかけ離れた話ばかりですけど、

当時の衣装も(使用人を含め)素敵で、イギリスの風景も、広大な敷地のお城も、余計な音楽の無い所も、

何もかも素敵なドラマです。