悠久の片隅

日々の記録

<a href="http://ameblo.jp/fujiko-diary/entry-10626916227.html">母の音</a>

台所のおと (講談社文庫)/幸田 文

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音を文章で表わしてこれほど情緒があるとは。

心に深く染み渡る。

こういうものを読むとホっとする。

『女はそれぞれ音をもってるけど、いいか、角(かど)だつな。』

私が病気で学校を休んだ時は

母は居間の脇の客間に布団を敷いてくれた。

子供部屋ではなく、母親を1日中感じられる場所。

天井の節目を眺めながら、今頃何時間目かな~なんて思って。

昼間TVをつけることは無かったので母の立てる音が聞こえてくる。

あっ、ゴミ出しに行ったな

外からの音も聞こえてくる

あっ、近所の人と井戸端会議してる「今日は藤子が学校を休んでね・・・」なんて話も聞こえてくる。

(おしゃべりなんていいから、お母さん早く帰ってこないかなー)

母はラジオをかけてくれる。

ラジオから「ノンちゃん雲に乗る」の朗読が静かに流れる。

面白くて先が知りたくて、本も買ってもらった。

台所で水を使う音が聞こえてくる。

お昼はなんだろう。

ジっと耳をすます。

おうどんじゃないといいなー(嫌い)

おそばならいい。

おじやもイヤ(嫌い)

おかゆならいい。

その微妙な違いは、耳をすませたところでわからない。

出てくるまでドキドキする・・・・・

私の寝ている場所から母が洗濯物を取り込んでる姿が見える。

洗濯ものを畳む音が聞こえる。

布がすれる静かな音だけど、お母さんがしていることはちゃーんとわかる。

(あと少しかな。終わったらコッチに来てくれるかな。退屈だなー)

そうやって音を頼りにジっと待つけど、

そういう時間は子供の私が思うよりずっとずっと長い。

(終わったら、ヨーグルト持ってきてくれるかな。)

あらら、そのままミシン踏み始めちゃった。つまんないなー。

小さい時、

家の中にTVやビデオなど余計な音が無い分、母の立てる音がよく聞こえてきたし、

退屈しのぎにもなっていた。

姿は見えずとも母のたてる音は安らぎそのものだったのだ。

この本を読んで、そんな子供の頃を思い出した。

今は子供がいる時でも母親は

TVや携帯に夢中になっていたりするのだろうか。

そして子供も

母親のしていることより、TVやビデオに夢中なのかな。

『女はそれぞれ音をもってるけど、いいか、角(かど)だつな。』

これこそ、幸田露伴が娘幸田文が伝えたこと。

うちの父が私に言いたかったことと思う。

角立つ音。

歩く音、掃除する音、炊事する音、

いかにもやってます的な音は立てるなと・・・・・・

お野菜洗うにも食器を扱うにも、その音を聞けば性格と出来不出来が見える。

私は台所を仕事をすればエプロンも床も水でびちゃびちゃさせてしまう。

あとで拭けばよいのではなく、大切に扱う心がないがしろにされてる。

すべてのモノに対して大切さを感じていれば、水も雑に扱えるはずがない。

躾とは、身が美しいと書く

そして

身の美しさと同時に、実は心の美しさを伝えるものだと思う。

形だけに捉われてやれば良いものではない。