悠久の片隅

日々の記録

<a href="http://ameblo.jp/fujiko-diary/entry-11277727960.html">深層心理②</a>

人間は元々は男も女も、両性をもっていた。

男の中に、男性と女性。女の中に、男性と女性。

男の生み出す永遠の女性像は、現実の女性でなく、

実は、その男性の内側にある(永遠に閉ざされた)女性像に導かれている。

理想の女性にめぐり合えないと思っている男性は、

もしかしたら自己愛が強いということにもなるのかもしれない。

これもまた、深層心理。

遠藤周作はこんな大胆な発言をしている。

黒澤監督の『乱』は失敗だ。

黒澤監督自身の脚本のまずさで、

登場人物が筋書きに振り回され、操り人形のように動かされているので、

人間が生きてないのである。

そこに、シェークスピアの人生についての意味ありげな(実は内容空虚)台詞が加わり、

興ざめなのだと。

どういう意味で失敗かというと、心の琴線に触れなかったと言っている。

芸術とは心の琴線にふれるもので、

その琴線とは人間の無意識にうちにあるものであると。

黒澤監督は、乱をライフワークと言ってたと思うけど、

遠藤周作クラスの芸術の定義は厳しいな。

勿論何をもって芸術と言うかは人によって違うとは思うけど。

内に向かう心の究極の到達点は、創造性で、

そうして生まれるものが芸術作品だというユンクの言葉を借りれば、

到底私が理解出来るところでは無さそうだ。

心に問題が生じた時には、神話に立ち返ること。

ドラクエもFFも神話の世界)

人の心の礎は神話的要素で成り立っている。

その心の一番奥深いところに想像する力の原点があり、

神話を読むことで活性化し豊かにさせることが出来る。

うむ・・・

色々を伝い歩きしているうちに

とうとう遥か遠く神話まできてしまった。

古代であろうと、現在であろうと、同じ人間種族なのだから

環境からくる思考、思想の方向性は違えど、

ソクラテスも私も感情は同じで

嬉しい、悲しいに違いはないと思っている。

そんな古代の人間が描くギリシャ神話も

現在の人間が描く物語りも、繋がってるに決まってる。

ただギリシャ神話の頃の方が、より純粋で、より残酷で、本性が露わな分、

まやかしの肉が削ぎ落とされ鮮烈な印象を与える話に纏められているのかな。

神話か・・・

神話、聖書、哲学、

この3つを少し身につけないと

立ち行かなくなってきた・・・

核がちっとも見えてこない。

それどころか、中心からどんどん遠ざかっていく。

時間は死ぬまであるから大丈夫だけど、自分が何をしているのかがよくわからないな。

私の深層心理はどうなってるんだろう・・・