悠久の片隅

日々の記録

<a href="http://ameblo.jp/fujiko-diary/entry-11280821718.html">アレクサンドリア</a>

アレクサンドリア [DVD]/レイチェル・ワイズ,マックス・ミンゲラ,オスカー・アイザック

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4世紀のアレキサンドリアでは、

キリスト教徒が増え、古代エジプトからの宗教を異教徒とし、力で弾圧、

そして実権を握ったキリスト教徒が次はユダヤ人を迫害する。

哲学者であったヒュパティアは、学校で天文学を教え、知的で勇敢、多くの信頼を得ていた。

そんな彼女をキリスト教徒は、神への冒涜、異端とし、魔女狩りを行った。

古代からの宗教に変わってキリスト教が勢力を伸ばしてきた背景には、

奴隷制度があったと思う。

ただ、煽動され暴徒化したキリスト教徒の群集心理は、教団でなく狂団。

ヒュパティアが魔女にしたてられたのは、

彼女を怖れていたのだと思う。

自分達の宗教が誠に正しいなら、他を排除する必要はない。

良いものは良いものとして人の心に残るはず。何も怖れなどないはず。

ヒュパティアのまっすぐな心が人々の歓心をかい、いつか取って代わられるんじゃないかと、

そんな危険分子は排除すべきいう勝手な思いは、宗教でもなんでもない。

取って代わられるのが怖いという、ただの弱い心でしかない。

間違っていけないと思うのは、悪いのは宗教そのものではない。

神がこれらの事件を引き起こしたわけでも、神が命令したことでもない。

人の弱い心。人の醜い心。煽動され暴徒化した人間の怖さ。

それと比べヒュパティアはひとり最後まで自分の信じる道を貫いた。

その神々しさ、そして時々俯瞰してみせる地球の美しさのみが崇高たるものだった。

この映画は、アレキサンドリアの町を、地球を、時折俯瞰して映す。

そうすると、人は右往左往してる蟻にしか見えない。

ヒュパティアの奴隷で、ヒュパティアを愛し、キリスト教徒となったダオスの揺れ動く心、矛盾した行動は、

「優しさはわかるが、オマエは、いったい何をしたいんじゃい!」

と最初から最後までイライラさせられるけど、

この曖昧さが、ほとんどの人間に当てはまるのかもしれない。

ヒュパティアにとっての関心は、地上ではない、天動説では説明のつかない宇宙の法則だった。

「太陽が中心であるとしたら、地球の起動は円では説明がつかない・・・円ではなくなんなのかしら・・・」

と思い悩む彼女に

楕円だ!楕円!もうちょっとだガンバレ!と思ってしまう(笑)

実在の彼女は、裸にされ、カキの貝殻で、生きたまま肉を骨から削ぎ落とされ殺され、

見せしめとして市中引き回しとなった。