<a href="http://ameblo.jp/fujiko-diary/entry-11281109926.html">マリー・アントワネット</a>
完全に評価が分かれるだろうね。
アメリカ映画が、フランス、マリーアントワネットをどう描くか。
本格的なヒストリー物でもない、アメリカンポップにも徹してない、
クラッシックが流れると思うと、ポップな曲が流れる、
喜劇とも悲劇ともいい切れない、
自分の感覚をどこにもっていっていいか戸惑う中で
ドーーーン!と、ベルサイユ宮殿の存在だけが他を圧倒する。
そうか・・・
マリーアントワネットが玩具で、ベルサイユ宮殿が本物なんだ。
この映画が、アメリカが描くフランスということを忘れちゃいけなかった。
そこを失念し、観点がズレると、ただのトンチンカン映画に映る。
マリーアントワネットが14歳でたったひとりオーストリアからフランスに嫁いできた翌朝、
彼女の着替えのシーン。
真っ裸で寒さに震える彼女に、形式ばって格式を重んじ、なかなか洋服を着させてあげない侍女たち。
やっと洋服を着た彼女が、お茶目な笑顔でいう「なんだかバカみたいだわ」
これだ。
アメリカが描きたかったフランス(マリーアントワネット)は。
皇太子妃が風邪をひこうが、それより伝統格式を重んじることが大切なフランス。
バカみたいではあるが、そのバカみたいなマナーとルールがあるからこそ、
ベルサイユ宮殿は世界一優雅であるということ。
アメリカ人は、フランス人を元々そういう目で見てるところがある。
婚姻はしたものの、ルイ16世は性的に問題があって、なかなか性交渉がうまくいかない。
そんなあれこれが、この映画の中でもとても長い時間を占めている。
それが見ているほうにはシンドイかもしれないけど、
実際、結婚7年目に治療をしてようやく子供に恵まれた。
その間のマリーアントワネットは王妃といえども、その地位は危ういもので、
跡継ぎを生まなければいけないというプレッシャーは相当きつかったと思う。
そんな針のむしろの彼女の7年間の心の内を察する時間と思えば、
映画の中の小1時間くらい一緒に思い悩むには必要かも。
映画はどんな風に描こうと、監督の感性。
史実として知りたければ、他にいくらでもある。
私はこれはこれで面白かったし、マリー・アントワネット可愛かった。