悠久の片隅

日々の記録

<a href="http://ameblo.jp/fujiko-diary/entry-11297900077.html">シシュポス</a>

ギリシャ神話のシシュポス。

シシュポスが神から与えられた罰は

地獄の底の険しい坂道を大きな岩を押して上がることです。

そうして、あと少しで山頂に届くというところまで岩を押し上げると、

岩はその重みで底まで転がり落ち、

またその岩を押して坂道を上がる。この苦行が未来永劫繰り返される。

これが人間にとって最も過酷な罰という・・・

見事だな。

たったこれだけの話でどれだけ多くのこと、感じさせてくれるんだろう。

『その重みで・・・』

お金を持てば、そのお金を減らしたくないが為に

恋を手に入れれば、その恋を失わない為に

平和を手にすれば、その自分の平和を守る為に

人はまた、地獄の底に転がり落ちる。

そのことをわかってはいても、それを繰り返せざるおえない。

人生に頂上はない・・・

頂上が希望だとしたら、やっぱりその人生は変な気がする・・・

希望なんて

手にした瞬間、指の間から零れ落ちていくもの。

この話は、

結婚、それから人生そのものも想像する。

同じことを繰り返すだけの退屈な毎日。

専業主婦なんて、ホント単調で生産性の無い毎日だ。

その単調で変化の無いことが人間の一番の拷問なのか。

この考えはすごい。

生きてるってことは、

変わり映えのしない結婚生活を続けてるってことは、元々が逃げ場の無い茨の道で、

でもそこを耐えるべき宿命付けられている。

荷物背負って、ひたすら、ひーこら歩くだけ。そこを、あれこれ考えても仕方ない。

もしかしたら、バビルの塔同様、

「人間がどれだけうず高く積もうと、神は何度でも叩き落しますよ。」

人間の欲など神にとっては許しがたきもの。

の意かもしれない。

ギリシャ神話に答えはない。

読む人の心によってどのようにでも映し出される。

そんな、読むというより、考える本がやはり最近はいい。

本との対話+自分との対話。

そして、ふとした時にシシュポスが脳裏に甦る。

解決する物語ばかりに慣れると、人はなんでも解決出来ないと気が済まなくなる。

出口がない問題にぶつかった時に脆い。

問題がシシュポスじゃなくて、人生自体がシシュポスなんだと・・・

報われるとしたら、大きな岩を押し上げてる行為自体が報われることで、その先のゴールじゃない。

ギリシャ神話って、

TVも電話もネットも無く、夜は暗くなったら家に帰って

暇で暇で『人生とは・・・』と、

暇が生み出した人生指南書なのかな。

「俺・・・毎日何やってんだろうな・・・」って。

で、

「考えても仕方ないんだ。神が決めたことなんだ。」って、

とりあえず神のせいにしておけば、絶対的なわけで。

神のせいにする以外答えが見つからなかったんだと思う。

ちょっとズルイ。

シーシュポスの神話 (新潮文庫)/カミュ

¥540
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これはカミュの書いたシシュポス。

カミュは難解。

でもカミュがこの物語をどんな風に捉えたのか知りたい!知りたい!知りたい!

買いに行ってくる~~~

ついでにゲームソフトもみてこよっと♪

ゲームの動画見てたら、やりたくなっちゃった(笑)