悠久の片隅

日々の記録

<a href="http://ameblo.jp/fujiko-diary/entry-11320851352.html">価値観の崩壊</a>

妻と罰 (文春文庫)/土屋 賢二

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この人のエッセイ初めて読んだけど、面白いなー。

こういうのは、電車の中のとか、公衆の面前で読んではいけない。

声を立てて笑わずにはいられない。

土屋は東大哲学科卒業、御茶ノ水の名誉教授。

この人が名誉教授って似合わない(笑)

「大きなお世話」と言われそうだけど。

そもそも

名誉教授というネーミングもおかしい気がする(笑)

私が名刺作ったら、「名誉主婦」って入れるかな。

私が名誉主婦ってことは、世間が認めてくれると思う(`・ω・´)チョキ

認めないのは、ただひとり・・・・・

うちの主人だね。

ホント残念な人だ。世の中の価値観というものを全然わかってない( ・(ェ)・)

と・・・

土屋の本はこういう自虐ネタ的エッセー。

土屋は東大に入学し、

今まで本を読んでこなかったから読んでみるかな・・・

と、ドストエフスキーを読んだら常識をくつがえすようなことばかり書いてあって

東大→官僚→天下り、安泰!安泰!と、それまで自分が疑いもしなかった価値観が、

一気に壊れてしまった。

価値観の崩壊ですね。

そして、何がいいのか、何を目指せばいいのか、

どうすれば満足できる一生が送れるのか分からなくなった。

それで、それを考えるのは何だと思ったら、哲学だと。

それで哲学を学び始めた。

ハイデッガーの『存在と時間』を読む為に、ドイツ語を学び、10年かけてハイデッガーを読み、

自分の求めているものと違うことがわかった。と。

昔の人はみんな本を読む為にフランス語、ドイツ語、英語、語学を学んでいる。

今は翻訳がいろいろ出ていて、翻訳本を当たり前にしてるけど、

多分それって、ジムに車で行くようなものなのだと思う。

勉強は多分過程が大事でそこから得るものが自分にとってありがたいことなのに、

到達点ばかり気にして近道ばかりを急いで、肝心なもの見落として歩いているように思う。

上を見れば下を見れない。

上にしかモノが無いと思ってる。

語学は必要に迫られてからでいいように思う。

授業にあるから・・・と義務感で身につけるのは大変なこと。

人間必要と感じれば、必死に集中してやる。その方が効率いい。

意欲なく学ぶのは理にかなってない、難しい。

昔の人は、世に出るにあたって語学を学んでいるけど、ちゃんとモノにしている。

福沢諭吉は、

オランダ語をやっとマスターし、意気揚々と横浜に出たところ、時代はオランダ語から英語になっていて

せっかく学んだものがすべて無駄になったことを歎いた。

歎いていても仕方ないので英語を学ぼうとした時に

和英辞典がまだ無くて、蘭英辞典しかなく、それでオランダ語が非常に役に立ったという。

歎いたところで事実は変えられない。

自分が変わって行くしかない。

なんにしても昔の人は勉強家だと思う。

無いから学ぶ。

の精神。

今は

有るから、よりかかる。必要性がわからない。

本の醍醐味は、価値観の変換ですね。

価値観の変換で、考え方も生き方も、よくも悪くもガラっと変わる・・・

特に若い時は世界が狭いので、足元から崩れ落ちるそんな出会いが本にはある。

私は『氷点』で横っ面ひっぱだかれた。

許すこと。

あやまること。

その2つが私の人生の命題のようになってしまった。

踏まれた足の痛みはすぐ気付くけど

その私が反対の足で、誰かの足を踏んでいることには気づいていない。

(または、気付いていても罪の意識から目を反らしている)

人は罪を犯さずには生きていけない。

人は誰しも生まれながらにして罪を負うている。

キリスト教の『原罪』というものらしいけど、今でもなんだかよくわからないけど、

当時、宗教もまったく知らないのに、突然自分が罪の子になってしまった衝撃と、罪というものの考え方。

ごめんなさい。許してください。と願うとき、

私は世の中全ての人の罪も、許さなければならない・・・

あやまること。許すこと。

永遠のテーマです。

土屋のエッセーは、そんなハイデッガーが生かされているかどうかは知らないけど、

面白い。そして微妙に哲学してる(笑)

大学の寮の仲間数人と、数十年ぶりに会った。

会ってみると、みんな成長しないまま外見だけ老けるという最悪のパターンとたどっていた。」

で始まる「なぜ若い頃は楽しいのか」の話。

子どもは靴を左右逆に履いても気にしない。これほど無頓着だから他人にも寛容なのだ。

ガミガミ言う子どもも怒りっぽい子犬もいないのはこのためだ。

人間も犬も年とともに心が狭くなる。

利害にこだわり、用心深く気むずかしくなっていく。

昔の寮仲間との会食が終わり、帰ろうとすると、「食事代を出せと言われた。」

心の狭い人間になったものだ・・・