悠久の片隅

日々の記録

<a href="http://ameblo.jp/fujiko-diary/entry-11324472095.html">没落と希望</a>

チェーホフの『桜の園

太宰の『斜陽』

どちらも、

没落貴族を描いたもの。

桜の園は、

元地主夫人が没落し、

借金のカタに土地家屋すべてを売り払って一文無しになるしかないない状態になっても

貴族の気質が抜けず、

現実を直視出来ず「困ったわん、どうしましょう・・・」と、緊迫感がない。

どうしようも、こうしようも、お金ばかりは、どこからもどうにもならない、覚悟を決めるしかないのに、

そのことが理解出来てない。

最終的には土地屋敷すべてを売り払うことになるのだけど、

絶望したいほどの悲しみはあるものの、決まってからの方が覚悟が出来気持ちが上向いてくる。

その土地屋敷を買ったのは、代々元農奴として働いていた男で、見事なほどの下克上。

で、

で、

で、

この小説の不思議なところは、

成金になった元農奴の男を下品な男にも描いてないし、

没落した貴族夫人を気取った女にも惨めな女にも描いていない。

どちらも善悪では書かず、普通の人、

2人共、国がもたらした運命をただ受け入れる人として微笑ましく描いている。

その他の登場人物もゴチャゴチャ出てくるけど、

悲惨な状況にしては、皆どこかひょうひょうとしている。

農奴解放という新しい時代への希望なのかな。

人を善悪で描いてない。起こった出来事も善悪では描いていない。

物事は必ず、プラスとマイナス両面ある。

片方しか考えられないとしたら、起こったことよりも、そのことが不幸なことに思う。

ラスト、バタバタと引っ越す中、病気の年寄りがひとり、そのお屋敷に置き忘れられる。

「わしのことを忘れていったな。・・・・なあに、いいさ・・・・まあ、こうして坐っていよう。・・・・・」

そのまま生きているんだかそのまま死んだのかわからない静かな余韻をもってこの物語は終了する。

終始ドタバタ劇で、最後だけ見事なほどの静寂。

まるで人生何事も起こらなかったかのように・・・

たくさんお金があっても、一銭のお金がなくても、人間は変わらない。

それが生き方の理想だと思う。

お金を持てば、お金を失うのが怖くなる。

乞食になることを一番怖がるのは金持ちだという。

常日頃から一文無しになる覚悟はしておく。生れた時は何も持っていなかったのだから当然。

そのくらい鷹揚に構えられたらいいな。

斜陽、

こちらの没落貴族(母娘)は、痛ましい。

『ああ、お金がなくなるということは、なんというおそろしい、みじめな、救いのない地獄だろう、

と生れてはじめて気がついた思いで、胸が一ぱいになり、

あまりに苦しくて泣きたくても泣けず、人生の厳粛とは、こんな時の感じを言うのであろうか、

身動き一つ出来ない気持ちで、仰向けに寝たまま、私は石のように凝っとしていた。』

人の美しさ、気高さは、お金が有る無しで変わるものでなく、すでに備わっている。

冒頭のすうぷの場面からの、引き込まれるような美しさと、その生活が破綻していく哀れさ、

そこから逞しくなっていく姿さえ哀れに思えてしまう・・・

中盤には、太宰を投影する弟が出てくる。

この弟は遺書を残し、自殺するのだが、それは太宰の遺書ともいえるのではなかろうか。

『姉さん。

だめだ。さきに行くよ。

(中略)

僕の自殺を非難し、あくまで生き伸びるべきであった、と僕になんの助言も与えず口先だけで、

したり顔に批判するひとは、陛下に果物屋をおひらきなさるように平気でおすすめできるほどの

大偉人にちがいございませぬ。

姉さん。

僕は、死んだほうがいいんです』

母は没落に比例するように衰えて死に、薬中毒の弟も自殺する。

そんな中、和子(娘)は未婚の母になることを決意する。

そのことを彼女は『革命』というが、それは『唯一の生き甲斐』ということに思う。

お金も家族もすべて失った女が生きていくには『子供』の他ない。

『もし嘲笑するひとがあったら、その人は女の生きて行く努力を嘲笑するひとです。

女のいのちを嘲笑するひとです。

私は港の息づまるような澱んだ空気に堪え切れなくて、港の外は嵐であっても、帆をあげたいのです。

憩(いこ)える帆は例外なく汚い。

私を嘲笑する人たちは、きっとみな、憩える帆です。何もできやしないんです。』

『破壊思想。

破壊は、哀れで悲しくて、そうして美しいものだ。破壊して、建て直して、完成しようという夢。

そうして、いったん破壊すれば、永遠に完成の日が来ないかも知れぬのに、それでも、したう恋ゆえに、

破壊しなければならぬのだ。革命をおこさなけれがならぬのだ。』

太宰は、こういう破壊してでも進む勇気をもつ女性、不器用な人生ともいえる女性の姿を

いくつか書いている。

人間が真に生きるとはそういうことで、それ以外の臆病者はインチキな人生・・・

『人間は恋と革命のために生れて来たのだ』

2つの話には没落と没落からの希望が描かれている。