悠久の片隅

日々の記録

<a href="http://ameblo.jp/fujiko-diary/entry-11341658023.html">あ</a>

うんち出た。

見た目、出血もない。

お水飲んで、ご飯食べて、うんちして、寝る、が、全部出来るようになって一安心。

こんなことに一喜一憂して、

心配も期待もキリがない。

でも、心配するなといって、心配がなくなるわけでもないし、

気の持ちようといっても、そんなに都合の良い『気』などもってない。

へこんだ時は、一切本を読めなくなった。

本なんて慰めにもならん。

神も信じてないから、

祈ってどうなることでもないと思ってるけど、

仏壇の前では毎日真摯に手を合わせた。

でも・・・

『生』あるものいつかは死ぬ。

死ぬな・・・と祈ったところで、

『無理』と言われそうだから、

『今この時間の苦しみが少ないこと』をずっとお願いしてた。

今日は、犬が吼えた。

「ワン」だって。

犬がワンと言うことに感動。もう大丈夫な気がした。

私の救いになったのは、

睡眠薬

夜眠れないのは辛いから、薬のお世話になった。

薬が効くというのは、ありがたい。

母に殺される夢とかみてたから、神経は昂ぶっていたんだろうけど、

どんな夢をみようと、現実を正視するよりは、ずっといい。

でも、やはり一番は、生きてる人間がそばにいること。

犬が入院した日は、

「今、何してるかな」と主人に何度も尋ねた。

「点滴してもらって、寝てると思うよ。」

「そうだよね。薬が効けばラクになって眠れるからいいね・・・」

そしてまた数分後には

「今、何をしてるかな」と、

「点滴してもらって、寝てると思うよ。」

「うんうん、そうだよね。」

1日中、この問答が繰り返された。

黙っていると、不安に押しつぶされそうで、まったく意味のない会話を私は永遠と続けていた。

主人に

大丈夫か尋ねたところで、なんの解決も導き出せないことは知っている。

それでもいい。不安を口に出せるだけいい。

犬の面倒なら私ひとりでも充分みれるけど、

不安はひとりでは背負いきれない。

メールでもダメ。電話でもダメ。

そばにいる人でなきゃ心細さは拭えない。

役に立つとか、立たないで無く、

「どうしよう・・・」と、

のべつまくなしで、その一言を洩らせたら、そのことがずいぶんと救いになる。

回答に期待してるわけじゃない。

最低限の救いではあるけど、その最低限の救いが何よりも必要だった。

世の中には、シングルマザーもファーザーもいっぱいいる。

全然珍しいことではないけど、

子供の病気、子供の受験、

それらの尽きない心配事をひとりで抱えることが、精神的にどれだけきついことか、

その耐え難さは、きっと本人にしかわからない・・・・・

主人のこと好きではないけど、

それでも、いてくれることに感謝している。

頼りになるとか、ならないとか、そんなことは求めてない。

お互いがアテにならないことなんて、とっくの昔に知っている。

ただ、その存在に感謝。

結婚も長くなると、そんな感じに思う