親鸞
- 作者: 五木寛之
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2011/10/14
- メディア: 文庫
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私は歴史小説が一番好き。
他のジャンルの書物を読んで、尚更そう思う。
そしてやはり仏教は落ち着く。
しかし、われら下々の者たちが(聖徳)太子を慕うのは、そのような立派な業績をのこされたからではない。
四天王寺を建てられたとき、みずから尺をもち、工事の現場で大工たちに建築の技を教えてくださったのだ。
石工や鍛冶といえば、河原者と同じく卑しまれたこともあったのに、太子は身分をこえ、
先輩として手をとって指導なさった。
職人や、聖や、道々の者たちが太子を慕うのは、そのゆえじゃ。
船乗りや船頭たちに、風を見、星に方位を知ることを教えられたのもそうじゃ。
仏の道とともに、われらに生きるすべを教えてくださったかただからじゃ。
異国からやってきた人々とも、親しく交わられた。
のちの朝廷によって正音とされた漢音よりも、対馬読みとしてひろく人々に親しまれていた呉音を大事にされたのも、
そのゆえであろう。
仏の道を国の教えとして確立されたから尊敬しているわけではない。
立派な憲法をつくられた偉いかただからでもない。
身分というものをこえて、世間の人びとにわけへだてなく生きる技を教えてくれたおかただからこそ太子を慕う者たちがいる。
五木寛之の小説は『四季・奈津子』しか読んだことがない。
興味が無いのでなく、エッセイが力強いので思わずそちらに目がいってしまう。
エッセイは、本をペラペラとめくった途端、インパクトある一文が飛び込んでくる。
小説はそうはいかない。
で、ついついエッセイを買い求めてしまう。
五木寛之の言葉はわかりやすい。
養老先生にしても五木寛之にしても、考え方がシンプルだと思う。
『親は子に期待してはいけない。子も親に期待してはいけない。』
こういう言葉をみると、
もしかしたら、国民は国に期待をしすぎているのかもしれない。
今国民が考えなくてはならないのは、政治の在り方より、自分自身の生き方、生活のスタイルなのかと。
車が欲しい・・・PCが欲しい・・・
それは誰だって同じで、
それを全世界の人が思い、願い叶えたら、
地球の資源は1年ももたないと思う。
『親鸞』は平安末期から鎌倉へ。
天災、干ばつ、凶作、地震、津波、道端のあちこちに行き倒れの死体があり、河原には死にそうな人が捨ておかれている。
飢えた生活の中ではまっとうな生き方など出来るはずもなく、そんな人々は死んだ先も地獄であると説かれていた。
生きても地獄、死んでも地獄。
貴族にも武士にも寺にも頼れるものはなく、庶民は天からの恵みだけにすがり生きていた。
そんな時だから、(死んだらせめて極楽浄土へ)と、スーパーヒーロー法然、親鸞が出てきた。
明日の命さえ覚束ず、祈ることですべての望みを死後の世界に託す。
五木寛之は、ヒーローは出てくるものでなく、国民が作りだすものだという。
今の時代、国民が求めたものはそこそこなものだという。
圧倒的な指導者より軽い癒しのAKB。修行の場よりパワースポット。
私はこれは、リスク回避の心が強く働いているように思う。
本気になって失敗するよりは適度なとこ、より現実的に手に出来そうなものへ。
親鸞面白い。
いつか歎異抄も読めたらいいな。