悠久の片隅

日々の記録

中国の歴史がわかる

中国という国は、ハマると底なし沼のように抜けられなくなる。

なんだろう、この魅力は。

悪魔に魅入られたように、ハマる(笑)

いつまでも完成しないジグゾーパズルのように。

儒教的中国体制が政治腐敗の原理だと司馬遼太郎はいう。

儒教は体制となると、悪の根源になってしまうらしい。

日本は幸いにして、書物としての儒教のみが入ってきたわけだが。


最初、北京原人が出てきた時には、その先の中国の歴史の長さに気が遠くなりそうだけど、

この本は、中国4000年の歴史を簡潔にまとめてあって、一気に読める。面白い。

中国は、モンゴル遊牧民や、チベットイスラム、インド、ベトナムと、ロシア・・・と、

これだけの毛色の違う国々と接していて、それぞれの国と競り合いながら、

尚且つ国内に多種の民族を抱え4000年という長い月日をやってきた。

こりゃ大変だわ・・・・・

日本とは戦ってきた歴史が違う。背景があまりにも違いすぎる。

日清戦争で日本が勝ったのも、

その頃の中国は、日本なんかにかまっている場合ではなかった。

というのが実情で、

なのに日本は自分たちの力を過信してしまったように思う。

勝つということは怖い。

司馬遼太郎は、信長の偉さはそこだという。

桶狭間の戦いには勝ったが、桶狭間のような無謀な戦いは生涯2度としなかった。


それにしても・・・・・

書物の中の中国は魅力的です。

曹操は当代最高の政治家であり、かつ超一流の文人でした。

陣中にあっても、いつも書物を手にしていた、と伝えられています。

古典に親しみ、兵法の書『孫氏』の注釈も書いており、折に触れては詩をつくりました。

その詩がまた、すばらしい出来栄えでした。

その子の文帝曹丕(そうひ)、曹植(そうち)、若くして死んだ曹沖(そうちゅう)など、一家はみな秀才、天才でした。

びっくりです。

劉備と比べて曹操は悪い奴としてしか知らなかった。

三国志も小説だということを忘れてました(笑)

曹丕(そうひ)はこのような言葉を残してます

[文章は経国の大業、不朽の盛時なり]

文学は国家を経営するに等しいほどの大事業であり、不朽な偉業である

人間には寿命があり、栄華もその肉体とともに終わる

生命も栄華も必ず終わりがあって、文学の無限の生命には到底及ぶべきも無い

(中略)

したがって古人が世の珍重する尺璧(大きな璧)を軽んじて僅かな時間を重んじたのは、

時間が空しく過ぎるのを惜しんだからである。

然るに多くの人は努力を投げ出し

貧賤であれば飢えや寒さを懼れ、富貴であれば安逸に流れ

目先の事ばかりに精を出して千年先まで残る事業のことを考えない

時間は肉体の上を過ぎていき、肉体は地上で衰えていって、ある日突然、万物と同じように無に化してしまう

これは志しあるものにとって痛恨である。

戦いに明け暮れる日々、その栄華に浸るのでなく、

栄華の虚しさをひしひしと感じる。

千年先に残るものを考え、

曹丕(そうひ)の名句がこうして4000年先まで生きている。

中国人は武人であり文人である場合が多い。

文武両道。両方の道を得て、人間たるべきということなのだろうけど、

それが体制になると、なんでおかしなことになってしまうのでしょう。


中国のことを調べようと家の本棚をあさったけど、

中国に関する書物は1冊もなかった。

三国志も無い。

そうか・・・・・・

父は中国にまったく関心が無かったのだと思う。

私が今まで中国になんの意識もなかったのは、その影響もあるのかもしれない。