悠久の片隅

日々の記録

慣れ

1775年、リスボン地震で一瞬にして2万人が亡くなり、

火の海から生き残った人びとは海沿いに逃げた。

その人々に津波が襲いかかり、1万人が亡くなり、街は崩壊した。


リスボン地震は様々な教訓を残した。

そのひとつが『すべては絶対でないこと』

人は教訓を残すことはいくらでも出来る。

でも、教訓を生かせない。

なぜなら、

教訓を生かせないのが本来の人間の姿なのではないかと。


簡単に見えても、出来ないことが多いのは、

実は簡単に見えるだけで、習慣になっていないことは、

どんなに素晴らしいことでも、そこに快感が伴わない限り、

自己管理は相当困難なことなのではないかな。

快感があるうちは出来ても、快感は重ねるとただのマンネリに変化をする。

変化というものは、変化しているうちは見えなくて、

結果に現れた時、初めて変化していることに気付く。

地震など、突然起こるものでなく、自然の長年の変化が形になって現れたもの、

夫婦のスレ違いも、突然起こるわけでなく心の変化の積み重ねが離婚に至る、

変化は自分のことでもみえない。

感覚というのは『慣れ』により変化をしていく。

『慣れ』とは、自分自身気づかないうちに身に付いた変化。


『慣れる』から過ちを犯し、また、犯したことにも気づかない、それが体罰やイジメの温床にもなる。

体罰やイジメも1度だけなら、人間耐える力を持っている。

1度なら辛くても忘れることが出来るからだ。

『慣れる』から人は悲しみから救われる。怒られたり、傷ついたり、

悲しい出来事を忘れることが出来なければ、人は生きてゆけない。

時間が悲しみを解決するというが、時間が人にアプローチしてくるわけではない。

時間と共に、自分の方が慣れていく。それが救いとなっている。

体罰やイジメが問題なのは、それが1度でなく、

行う方は『慣れ』てしまい、永遠に続いてしまうからに思う。

イジメが無くならないのは、

『慣れ』が自分の生命を守るために必要な無意識での機能でもあるからだと思う。

人の無意識での変化はメリットとデメリットの両面を持ち合わせいる。

無意識が、救いがたい過ちを犯しもするし、救いがたい悲しみから救ってもくれる。

人は意識をもてば、どんな立派な者にもなれるかもしれないけれど、

意識は、意識して保てるものではないように思う。

自分が見えない自分の変化。

その変化が人間の行動を無意識のうちにコントロールしてしまっている。

それが、自分を守る武器にもなり、人を殺める武器にもなる。


アナトール・フランスヴォルテールは、

人の美しい肉体の中に潜む醜さと優しさ。

それを嘲笑うかのような鋭い視線で、ある時は嘆き、ある時は怒り、

でも、決して絶望することなかれと、人を愛する心を忘れない。

フランス文学とは、人間とは、美醜の裏腹で出来ているように思う。

アナトール・フランスヴォルテールを読むと、色んなこと考えさせられる。


What a wonderful world ~この素晴らしき世界~

D

ルイ・アームストロング。アフリカ系アメリカ人。

ニューオリンズの貧困街で生まれ、売春婦の母は家を留守にしていたので、奴隷だった祖母に育てられた。

発砲事件で少年院に送られ、そこでコルネットと出会い、音楽への道が開かれる。

この曲の背景にはベトナム戦争がある。

幸せな中で作られた曲ではない、それでも世界は素晴らしい、どんな時もそのことを忘れてはいけないんだよ。

そんなメッセージで歌っているのではないかと私は思う。

彼のハロードゥリーの曲は、ビートルズの連続1位をストップさせた。

その時、ルイアームストロング63歳。

それがどのくらいの快挙か、ビートルズを知ってる人はわかると思う。