悠久の片隅

日々の記録

いつか、一緒にパリに行こう

今帰国されているけど、辻さんはフランスが大好きなんだな~。

辻さんが、大好きなフランスを語る本で、

フランス人が語るフランスより、日本人が語るフランスの方が相対的なのでわかりやすい。

自由というのは、まず他人を気にしないことであり、自分の人生を謳歌することであろう。

パリの人々は他人を気にしない。だからゴシップというものもはびこらない。

フランス人は他人の自由をも強く尊重する伝統をもっている。

ヴォルテール

『私は君の意見に反対だ。しかし、君がそれをいう権利は、生命をかけて守って見せる。』

という言葉がある。フランスで培われている精神は、これなのだと思う。

自分の主張と他人の主張は同等であること。

今日本でも多様性という言葉がよくきかれるようになったけど、

フランスやイギリスは、元から自分は自分。人は人。

自分を主張をすることはイコール他を認めること、他に対する寛容性が必要となる。

個人の自由を尊重すれば、他人からの迷惑は『仕方ない』という方式になるのがフランス。

オーストラリアは『気にしない』と、よく言う。

みんな自分のやり方で生きてる。

それぞれの考え方で許し合いながら、生きてる。

ただ、その寛容性の中に宗教は入ってない。

逆に日本ほど宗教に寛容な国はないと思う。

この日本の宗教に対する自由さ。

そして、

世界中が武器をもったとしても、私たちは持たないという姿勢。

これほど平和主義の国民はいないことを、何故世界にもっとアピールしないんだろう。

多分、そんな国が存在していることなど知らない人のほうが世界には多い。

個人主義が世界で最も徹底している国の国民なのだから仕方がない。

自由を発明した国の国民たちなのだから、自分が世界の中心にいる、と考えるのは当然であろう。

周囲の目を気にして自分の生き方までも変更させる、というような集団社会優先の考え方は微塵もない。

七十億からの人間が生きてるこの世界で、一番苦しいことは同じような鋳型に押し込められて、

同じような競争をさせられることだ。

どうして人間は、生まれながらに比較される動物なのであろう。

他人の目から自由になることは難しい。

私は最近つくづくそれを実感している。

成熟した社会では、人間は他人から独立しているものである。

個しかないんだよね。

例えば、

子供というくくりはあるけど、

それは便宜上であって、

子供の定義など、誰も正確には答えられなくて

『人間の最初の方』でしかない。

人間として命1つで生まれて、知恵と愚かさを身につけながら、最後に命が終わる。

どこまで子供か、どこから大人か、言葉では決められないし、個々の自論しかないのだけど。

そういうことを日本は多数決が優先されて定義されている。多数の考えが正論で当たり前のようになっている。

日本はひとくくりで物事捉えていることが多いと感じる。

学生だから。

会社だから。

先輩だから。

そして、そのことをそのまま受け入れてる。

私が勤めていた時に思っていたことは、

私は仕事の為に生まれてきたわけじゃない。

会社の為でもない、お客様の為でもない、経営者の為でも、ましてや国家の為に生まれてきたわけでもない。

仕事は私の生活のごく一部でしかしない、ということ。

だから、

サボりたい時はサボってた。

自分のやりたいようにやってたし、不思議と周りがそれを認めてくれてた。

その代わり、講習会など行く前に自分でテキスト全部やって、行かないで済ませたり

会社の休みの日でも、朝ゴミ出しだけ行ったり、やること、やらないこと、

非生産的な部分を含めて自発的にやってた。

私のような自分勝手がいると、周りは迷惑したと思う。衝突することもあった。

でも、自分の人生なのだから、自分の責任において生きるしかないんじゃないかな。

どう考えても、

世の中で正しいとされてることが、すべて正しいとは限らない。

ただ、

フランスの考え方、日本の考え方、どちらも矛盾が出てくる。

その矛盾とどう向き合っていくか。

その都度、考えるしかない。

この本を読むと、

フランスは労働時間が法律で週35時間と決められているらしい。

それ以上働かせたら多分経営者はペナルティーがあるのだと思う。

フランス人はとにかく遊ぶこと食べること飲むこと話すことが好き。

そう言えば、うちの父も時々フランス人に遊びに連れ出されてた。

ビリヤードとか、ダーツとか、クラブとか。

うちの父、そんなもん出来ないし、フランス語もまったく出来ないのに、

相手も日本語まったく出来ないのに、2人で行ってしまうのだから恐れ入る。

日本では、平日、仕事終わったあと親父2人でそんなとこ行く感覚がない。

仕事関係の人と飲みに行っても、

それ以外の人と遊ぶことは少ないのではないのかな。

フランス人は単純に、大人が遊ぶこと、話すことが好きなんだと思う。

日本人が知っているフランス。フランス人が知っている日本。

この差が縮まっていけばいくほどに、信頼度数はあがっていくことになろう。

第二次世界大戦で敵対したドイツとフランスが今やEUを導いている。

きちんと腹を割って向かい合ってきた戦後の努力の賜物であろう。

ドイツは、歴史教科書をポーランドと協議して作っていると聞いたことがある。

ナチスの部分を曖昧、もしくは風化させない為だと思う。

ドイツのしたことは間違っていた。

でも今は、それをすべて公開することで、そのことを世界から高く評価されている。

あれはナチスが悪いというだけでなく、

100%に近い一般の民衆がナチスを支持したことに、人間の怖さがあると思う。

群衆の心理は、止めることが出来なくなるから怖い。

多数決は平和主義のようだけど、正しいとは限らない怖さも含んでいる。