悠久の片隅

日々の記録

原子の心

人間も宇宙のひとかけらである限り原子ということになる。

化学式に書き表せるほど単純ではないけど、

大きく捉えると原子で出来ている。

病気も体内の化学反応といえる。


人は頑張る時は、

『頑張るぞ』という脳内物質が出る。

頑張るのを諦める時には『諦めた方がいい』という脳内物質が出る。

『頑張るぞ』をAとして『諦めた方がいい』をBとする。

A>Bなら頑張れるし

B>Aなら諦める。

人には個人差がある。

歌の上手い人もいれば下手な人もいる。

運動バランスのいい人もいれば悪い人もいる。

それは本人の意思というより個人の特性によるものが大きい。

この脳内物質の出方にも個人差があっても不思議でない。

『諦めた方がいい』という物質は『怠惰』ということになるのかもしれないけど、

もしかしたら、逆に考えれば、

『諦めた方がいい』物質の出方が鈍い人が、頑張れるのではないかと。

原子たちには、怠惰がいいも悪いもない。

人は努力をすべて意思の問題と思ってるけど、

人間の身体は意思とは関係なく、疲れていても血は勝手に身体の中を駆け巡っている。

意思と思われているものも化学反応の上に成り立っていることもありえるのかもしれない。

自分の意思が自分をすべて支配出来るわけでなく、

化学反応が、意思をもたせているということも考えられるんじゃないかと。

努力の出来る人は、

『頑張るぞ』物質が多く出る人ともいえるし、『諦めた方がいい』物質の出方の悪い人ともいえて、

A>BあるいはB>Aが人間を操っているという・・・・・ことはないのかな。

容易に努力が出来る人と、努力することが困難な人と、

それぞれもって生まれた性質ともいえるのではないかと。

努力出来るかどうかも天賦の才で、

よく先生が「やれば出来るのに」というけど、

それは誰でもそうで、でもやれないから困ってるし、こんな成績なんだけどな。と思ってた。

みんながみんな頑張れたら、誰もが東大でもオリンピックでも行けてしまう。

人一倍努力が出来るとしたら、それがもって生まれた才能で、

努力にも越えられない壁は存在すると思ってる。


今はもう、遺伝子までいじれるようになってきている。

『頑張るぞ』物質の出方を最大限にして、『諦めた方がいい』物質の出方を少なめに調整する手術も可能に

なる日がくるかもしれない。

世の中はこぞって、その手術をしたがると思う。

頑張りたくても頑張れてないから。

するとどうなるのかな。

命の危険を省みず、努力が出来るようになって、

命の危機になったら、

新しい細胞と取り替える手術をして延命する。

人の欲望を突き詰めて考えると、最後に何が残るんだろう。


人間も原子の集合体。

炭素が意思を持たないのに、なんで人間は意思をもっているのか。

人間が見えない、聴こえないだけで、

花にも意思があり太陽の方を向き、草も風としゃべっているのかも。

鳥は水のせせらぎを聴き、その音に合わせて奏でているのかも。

水素や炭素も音を感じているかも。

原子が、進化の過程で突然心を持ったと考えるのは、私には不自然に思える。

水素には水素の性質があって、その性質の一部に微弱でも魂が宿っているように思う。

宇宙で、人間だけが特別な存在じゃない。

原子1つ1つにも小さな小さな心は存在し、私たちにはわからない感覚をもっていると思う。


共感覚というのがあって、

文字や数字や音が色や匂いで感じる人がいる。

ビリージョエルの曲は弾くとよくわかるけど、本当に美しい共鳴音を使っている。

曲の中で聴いただけじゃちょっとわからなかった。

彼は共感覚の持ち主で、これは色で見えた音楽なのかなと思う。

宮沢賢治銀河鉄道の時空を超えた異次元も、共感覚ゆえに思う。

物質、色、とても不可思議な感覚で、本当にそんな世界がどこかに漂っているように思える。

彼は霊感もあったというので、私にはわからない感覚いっぱいもっていたと思う。

太宰治絶対音感はあったと思う。小説の中で音にものすごく過敏なことが感じられる。

薬に溺れたのは、感覚の過敏さからくる恐怖を紛らわすためだったんじゃないかな。

彼の場合、恐怖が行き過ぎて滑稽とかふざけてるとか他人にはみえてしまい、

人間失格などという境地に辿り着いたかと。

感覚の違いをわかりあうことは、特に日本という社会の中では、とても難しいことに思う。

麻薬は感覚を鋭敏にする。

アメリカのジャズ界は麻薬で命を縮めた人が多い。

言い方は悪いけど、麻薬によって、アメリカでは数々のジャズの名曲が生まれたともいえる。

私は子供の頃肉が苦手で、特にひき肉は見るだけで卒倒しそうになる。

好き嫌いという問題じゃなく、肉という物体におぞましさを見てた。

怖いものはいっぱいあったけど、20歳過ぎると、そういったことすべて克服出来た。

大人になるということは、社会に適応するということは、

自分の感覚を殺して、感覚を鈍感にさせ埋没させることでもある。

人間は体罰はダメというが、

馬はムチで打たれて、走らされて、人間の賭けの道具にされている。

人間だって馬だって、痛いものは痛いでしょう。

人にはミラー感覚というのがあって、相手の感覚を自分の感覚に出来る。

人の痛みを自分の痛みと感じる人もいるし、そうでない人もいるように、

馬の痛みを自分の痛みと感じる人もいるだろうし、平気な人もいるのだと思う。

もしかしたら、五感以上の感覚を持った人もいるかもしれない。

私の感覚は、あくまで私ぽっちのもの。

ひとりひとり感覚が違えば、想像も考えも違ってゆく。


ヴォルテールのミクロメガスの話の中で、

ミクロメガスはシリウス星人なのだけど、

地球人は5つの感覚(五感)をもっているが、ミクロメガスは1000もっている。

寿命は1000万年以上。

ミクロメガスはもっと優れた生物がいることも宇宙の果てで見ている。

そしてそんな生物にもやはり不安や欲望があることも・・・・・

そしていっけん、ちっぽけに見えるものにも心があることも知っている。