悠久の片隅

日々の記録

ボヴァリー夫人

ボヴァリー夫人 (新潮文庫)

ボヴァリー夫人 (新潮文庫)

フローベル(フランス)1856年の作品。

久しぶりに、重さのある小説。

エマ(主人公)は結婚をした途端、世の中にも未来にもなんの希望が無くなってしまう。

その心情、わからなくないから痛々しい。

結婚するまでエマは恋をしているように思っていた。

しかしその恋からくるはずの幸福がこないので、あたしはまちがったんだ、と考えた。

至福とか情熱とか陶酔など、本で読んであんなに美しく思われた言葉は世間では正確にはどんな意味でいっているのか、

エマはそれを知ろうとつとめた。

愛ってなんのかな。

もしかしたら、

厳密なものでなく、

愛も欲望も、すべて境は無いのではないかなと思えてきた。

じゃー愛ってなに?っていうと、

自分で『愛してる』と思ったら『愛』で、

そう思えない時は愛じゃなくて。

結局・・・・・

自分のあやふやな認識程度のもので、

自分がそう思えばそうだし、違うと思えば違うし。

取り出して重さを測れるものでもないし。

私の友達には2通りの女性がいます。

結婚してるか独身かでなく、

恋をしている女性と恋をしていない女性。

恋をしてる女性は、面倒くさい(笑)恋に縛られているからね。

でもその縛りが緊張感であって、男女を繋ぐエッセンスに思う。

男と女は、一緒になると、パンツのゴムみたいに気づかないうちにゆるーくゆるーくなって、

新しい張りのあるパンツに履き替えたくなる。

なんで伸びきっちゃうかというと、

ゴムだから(笑)

理屈でなく元々そういう性質をもってるんじゃないかな。

ゴムの伸びたきったパンツを履いているにはあきらめか、忍耐がいるけど、

ゴム以外の部分は、新品より肌に馴染んでいて、

だからゴムの部分だけしか見ないと不満しかなく、

他の部分を見る意識を保てるかどうか・・・

遠藤周作のキリストの本の中の言葉で、

『魅力あるもの、キレイな花に心を惹かれるのは、誰でもできる。

だけど、色あせたものを捨てないのは努力がいる。 色のあせるとき、本当の愛情が生まれる。』

だそうです。かっこいい。

生き方と言葉が同じってなかなか出来ることでない。

新品が好きなのは当たり前だからね(笑)

ガンジーは言った。

『考えていること、口に出したこと、そして行い』この調和がとれた時、人は幸福であると。


エマ(主人公)のご主人が、エマの不満に何も気づかず、ひとり幸せそうなのもまた、エマにとっては不満。

結婚したといっても、

心が結婚したわけじゃないからなー。

人の心は、どこまでも自由であり、縛ることが出来ない。夫婦であっても心の中までは読めない。

結婚という形式もまた、実は人に錯覚を起こさせる矛盾を孕んだものなんじゃないかな。

どうしても、

人間は矛盾に囲まれて生きていくしかないし、そこでつまづく。

もちろん、幸せになれると思うから結婚するんだけど、別に幸せが保証されたわけではない。

結婚とは、RPGの始まりでしょ。

ゲームの主人公は困難を1つ乗り越えるたび、一瞬の平穏と幸せが訪れるけど

またすぐ次の苦難が訪れる。結婚は終わらないRPGの気がする。

もしゲームにエンディングが無くて、何十年もやり続けなければいけないとなるとやはり辛い。

放り出して新しいゲームにリセットしたいと、私も思うもの(笑)

でも、どのRPGをやってもそれぞれに荊棘の道であり、飽きることには変わらない。

それなら、今このRPGでもいいかな。と、受けいれてます。


こうしたさまざまのことをせめて彼女はだれかにうちあけたかったのだろう。

しかし、雲のように姿を変え、風のようにくるくると渦巻くとらえがたい落ち着かぬ気持ちを

どういいあらわせばいいのか。言葉がみつからぬ。

虚ろな胸のうちを誰かに口にせずにはいられないけど、口から出た言葉が本心だかどうかもわからない。

自分の気持ちさえわからないのに、

相手の気持ちがわかるなんて思い込んでいたら、それこそ『何もわかっていない証拠』

自分でも自分の心の身勝手さ、掴みどころのなさ、

他人にわかってもらえないことも、わかってる。

心の共有は出来ない。だから苦しい・・・

自分の心をコントロールすることがいかに難しいか。

彼女は結婚生活の空虚さに心を病んでいく。

それが世間一般からみてどんなにくだらないことだとしても、

それで病む人がいるのもまた現実。

これからこんな日が、永久変わらず、数かぎりなく、なに一つもたらさずにつづいて行くのか。

ほかの人々の生活はどんなに平凡であるにせよ、なにかが起こりうる機会はある。

一つの出来事がときには無限の転変を呼び、舞台背景が変わる。

だが、自分にはなに一つ起こらない。それが神意なのである。

未来は一本の真っ暗な一本の廊下で、そのつきあたりに扉がぴったりとざされていた。

なんという閉塞感。

フランスの田舎の平凡な医者に嫁いだエマ。

心に描いた夢と現実とのギャップ。

そんなとき、若い男性レオンと出会い心をときめかせる。

しかし、彼女の心は欲望と激しい苦痛と憎悪にみちていたのだ。

あのきちんと折り目のついた服は動揺する心をかくし、つつましく見える唇は心の苦悩を語らない。

彼女はレオンを恋していて、彼の面影をひとりえがいてたのしむために、孤独を求めていた。

レオンの姿を見ると、こういうひとりの物思いが乱されてしまうのだ。

彼の足音をきくとエマは胸がときめいた。

さて、彼の前にいると感動がさめ、そのあとでは呆然とした気持ちだけがのこりそれがやがて悲しみに変わって行った。

レオンに恋しているのだか、

恋していることに恋しているのだか、

そこにも境目は無いのかもしれない。

レオンもエマのことを好きなのだけど、苦しみだけの恋に耐えかねてパリにいってしまう。

2人は結局胸のうちを明かすことなく、あっけなく別れを迎える。

切ない・・・・・

あまりに切ない・・・・・

相手に自分をわかってもらいたい。それが愛だと思うのに。

その欲望が一番だと思うけど、この2人はお互い一切を封じ込めて、

この別れの場面、切ないなー。

愛は、ホレタハレタの幸福な場面より、別れの場面が一番美しいように思えてしまう。

この本まだ半分くらいしか読んでない。まったり読んでます。


この物語は1800年代のフランスの田舎での物語。

今の感覚で読んだら読めるものではない。

医者に見初められて嫁いだなら普通で考えれば万々歳だし、退屈ではあっても何の不自由もない。

エマはただ、パリの華やかさに憧れ、冴えない土地と冴えない旦那に愛想をつかしている。

自分がこんな灰色の世界で一生暮らしてゆくなど耐えられない!

と、

まぁ、

夢みる夢子ちゃんが、自分勝手に描いた想像の中で青い鳥追いかけてるという

わがままな女の話なだけです。

でも、わかる。共感してしまう。

自分の旦那より素敵な男性の方が世の中には多いんだもん(笑)

結婚生活への絶望など、何度となく感じた。

今はもう耐性出来たから、他の世界より今の世界を何より大切にしたいと思ってる。

自分が自分である限り、結局は自分の考え方1つでしかない。