悠久の片隅

日々の記録

いきずたま

モザイク病にしては、うちのきゅうり、トマト、元気すぎるかも。

私の気にしすぎかな。もう少し様子を見てみよう。

薬が効いて今はアブラムシいなさそうだし。

犬にしても、植物にしても、私が神経質になり過ぎてるかな。

その裏には、他に心配することがないことのありがたみがあるってことなんだろうなぁ。

私思うのですけど、

幸せとは何も心配のないこと・・・

なんじゃないかと。

でも、

どんなに幸せな生活でも、どこかしらに綻びは見いだせる。

不安は、小さな不安はなくて、いつも大きな不安で、

大きな安心は、いつもそのカゲに隠れている。

99%安心でも1%の不安をぬぐい去ることは出来ない。

100%の安心なんて生きている限りないのに、ついつい追いかける。

私には与えられてるものがありすぎる。

99%の安心が見えないことこそ不幸ともいえる。


今昔物語集に難しい話は無い。

源氏物語がどちらかというと、宮中の高貴な人たちの物語であるのに対し、

今昔物語は、釈迦、貴族から庶民までさまざま。

当時の庶民の生活もうかがい知ることが出来る。

今は結婚は制度になっているけど、昔は2人の取り決めにすぎない。

夜になると、男が通ってくる。それが結婚の形態。

いらなくなればポイ!も普通にある。

簡単にポイをするってことは、

やっぱり今より以前の女のが良かったなと、また簡単に乗り換えもあったと思う。

(人の心をなんと思う!)

と言いたいけど、

昔は、やはり人間もより動物に近い。

現代は、

法律、制度により、人間を拘束しているけど、

そんなものが無ければ、元来人間とはそういう邪(よこしま)な生き物。

人間が良心で出来ていたら法律や制度などいらない。

人間の本能を型におさめようとすれば

社会的には都合は良いが、個人がどこか歪むのも否めない。

それが本来の姿ではないのだから。


古典には、

恋のうたが多い。

男も女も恋の切なさによく泣いている。

なすすべもない悲しみをうたにして詠む以外に自分の慰め方がなかったことに思う。

昔も今も、無機質に捨てられれば恨みつらみある。

でも今昔物語には、女房が浮気者の旦那の頭を掴んでひっぱだくシーンも出てくるので

平安時代の女性がか弱いばかりの存在というわけでもなかったようだ。

永遠を誓い合った仲なのに捨てられれば恨みもする。

生霊にもなる。

生霊は女性しかないそうなので、

女性に与えられた特権ですね。

当時、どれだけの女性が男を恨んでいたことか。

そして、どれだけの男がとりつかれて殺されたか(笑)

生霊は怖いですね。

生霊は今昔物語では『いきずたま』と読んでます。

生きている者のたましいってことに思いますが、魂は自由ですからね。

こればっかりは、法でも裁けない。

法の整備されていない時代にはそういうものが、抑制力となっていたのかもしれません。