悠久の片隅

日々の記録

抹茶白玉あんみつな日

そういえば、うちのお隣は遠い遠い親戚。

近所づきあいはしていても、親戚づきあいはしていない。

今日叔母がうちにお風呂に入りに来る日だったので、隣のおばちゃんにもお茶をのみ来ませんか?

と声をかけた。

叔母74歳、隣のおばちゃん84歳。

親戚同士、何十年ぶりかで会うので、あの人はどーしてます?この人はどーしてます?と・・・・・

あの人も亡くなった、この人も亡くなった・・・・・

「お茶ばっかりたまるわよね(お葬式ばかりで)」と。

こんな年寄りをお茶に呼んでくれてありがとうって、2人とも嬉しそうで良かった。

私も楽しかった。

風はちょっと冷たいけど、気持ちよく晴れた日。

こうしてお年寄りの話に耳を傾けながらのんびりお茶をするのもいい。

お茶菓子は、抹茶白玉あんみつ。

と、イチゴ。

f:id:fujikobook:20130422170507j:image


昨日の続き。

なんで私は肉体の世界より精神世界にいってしまうかわかった。

五感では、常に自己を満たすことが不可能だからだ。

視覚、聴覚、味覚、臭覚、触覚での快感は、

対象物が無ければ無理で、

対象物が常に私の意のままというわけにはいかない。

その点、精神世界は自分ひとりで確立出来る。対象物が無いことで無限の世界になる。

対象物は有限であり、自分本意というわけにいかないので、それに懲りれば、

精神世界の安定度に惹かれていく。

今ここ(笑)