悠久の片隅

日々の記録

逆いながら生きている・・・

昨日の朝起きて庭に出ると、落ちて割れている鉢が1つ、花茎が折れているのが数本。

あ~あ・・・・・

風の仕業だ。

年中見張っているわけにもいかないし、自然には敵わない。

人間のしようとしていることは、

なんでも自然に対する抵抗であり、反することなんだと思う。

元々が反することをしようとしているから、突き詰めていけば答えがなくなる。

『在る』ということ自体答えが『無い』のだから。

弱肉強食の中で自然淘汰されていくことに、人は真っ向から立ち向かおうとしている。

そこに、

何か、どこか、少しづつ歪みが出てくるのは致し方ない。

本来弱いものが生き残るには、自然以外のものを手にするしかなく、

自然以外のものが自然を淘汰していく。

お金も武器も病院も学校も文化でさえ、自然以外のもの・・・・・

そこに頼って生きるのは依存で、矛盾はどうしても生じる。

でも、頼らなければ生き残れない。

知恵をもつものの喜びであり、悲しみであり。

楽しいことなんて、自分で探せばいくらでもある。いっくらでもある。

でも悲しいことは、自分で望まずとも訪れる。

元々がアンバランス。

喜びで悲しみを相殺することは出来ない。

喜びも悲しみも元は1つの要素で、ただ表と裏の関係なんじゃないかと思う。

コインを表にしたとこで、裏が無くなったわけではない。

裏の模様を削って消しても、裏は裏で、裏の無い表は無い。

ん・・・自分で書いててよくわからなくなったけど(笑)

良かれと思ってやってることも、自然の摂理にはとんでもなく逆らうことで、

そんなことを積み上げ、また壊し、

どうしようもない現実を生きている。それだけがわかる。

悲しみを失くす以外救いの手は無い。

でも

悲しみを失くす手だてなど、絶望に等しいほどない。

人知の及ぶことではない。

振りほどけない苦しさの中で、みんな生きてるんだ・・・

ということを忘れたらいけないな。

だからって

どうしようもないことも・・・・・・・・


この前買った盆栽の中のスミレ。今朝見たら、サヤが開いていた。

f:id:fujikobook:20130508142436j:image

ムムム・・・スミレの種だ~~~~~~!

ここから元気よく飛び出して、命の芽を紡ごうとしている。

何も動かないように見える植物だけど、今この時も弾き飛ばす鋭気を養っている。

サヤから飛んだら、この小さな粒は見つからなくなってしまうので、サヤを切って採り出した。

f:id:fujikobook:20130508142435j:image

13粒。

後からネットで見てみると、

紙袋の中に入れて、完熟してサヤから飛び出すのを待つ方が良かったらしい。

慌てて、採り出しちゃったよ(涙)

人間は余計なことばかりする・・・

山野草は、採ったらすぐ播くのが基本らしい。

明日にでも播いてみよう。

スミレは難しいよ・・・

この盆栽の中のスミレも溶けそうだもん。

根は乾かし気味で、水を切らせてはいけないなんて!

もうちょっと効率良く生きればいいのに、出来ないのね(涙)

そんなにね、誰もが合理的に効率よく生きられるわけじゃない。

この前友達が「スミレあげるね♪」と言ってたけど、彼女は上手に育てているってことなんだろうなー。

私はダメだけど・・・

こんなことが楽しくて、嬉しくて、

そんな毎日に心から満足して過ごしていたのになぁ。

何ごともないように見える1日であっても、目に見えない何かしらは生じている。

止まっている時間は無いのだから。

だからって、これまたどうしようもない。

どうしようもないことだらけだな(笑)

そんな中で、一時帰宅を許された犬にそのまま退院の許しが出た。

病院で一切食べなかったのが、家で10粒食べたからだ。

段々血管確保も難しくなってきているのでこのままだと点滴も厳しくなっていくという。

そうなる前に手術という方法もあるというけど、

それで治るかどうかはまったくの未知数。

開けてみなければ手術が出来る状態かどうかもわからないという。

良くなって退院したわけではないので、安心はしていない。

でも今横でゆっくり眠っている。眠れるというのは素晴らしい。

1日に2回痛み止めと吐き気止めの注射で、この状態を保っていけるなら入院の必要は無い。

もしくは、少し体力ついた時点で手術を試みるか・・・

今、大事なとこ。

乗り切れ・・・

ゆっくり眠って治りますように・・・