悠久の片隅

日々の記録

自己制御

明日土曜日、犬の手術が決まった。

この一週間、1日1日容態が変わって、一喜一憂というより、

希望は絶望を生むとしか思えなかった。

手術しようにも体力的に難しかったり、

点滴確保の血管も限界にきているし、

細い注射針の穴さえ塞がらなくなってきている。細胞の再生能力が無ければ、お腹を切ることなど出来ない。

そんな色々をぎりぎりクリアー出来ている今が、手術のラストチャンス。

この一週間は日帰り入院という形で、

朝7時から夜7時まで点滴をして、夜は家に連れて帰ってくる。

それが犬にも私にも最善の方法と、先生もみてくださった。

明日手術当日はひと晩入院しても、翌日からはまた日帰り入院に戻してくれるという。

良かった・・・

離れていると、犬もだけど私も衰弱してしまう(笑)

手術はお腹をあけてみなければ全くわからない状況で、

開けてみて手の施しようがなければ、眠ったまま安楽死・・・という結論を出そうと思っている。

なので手術中は待合室で待機。

待機という形をとるくらいなので、先生としても見通しの明るい手術とは考えていないのだと思う。


この一週間、大変ではあったけれど、

でも全く見通しの立たないそれ以前の一週間よりは、遥かに気持ちは落ち着いていられた。

あの時の辛さは2度と経験したくないと、今も思う。

とにかく『今』が早く過去になって欲しいと、それだけが頼みだった。

今『あの時』は過去のものとなった・・・

世の中には潔癖症という病気があって、

何度手を洗っても、落ち着かず、何度も何度も洗ってしまう。

自分ではわかってるのだと思う。無意味な強迫観念を抱いていると。

でも、

わかっていて、どうにもならない自分がいる。

私も今回悩んでも仕方のないことから逃れられないでいた。

多分強迫観念というのはこういう思いなのではないかと思う。

自分の固執した思考から逃れることが出来ない。

そして、それがどれほど苦しいことか、わかったような気がする。

私は外的状況が変わり、その気分から抜け出せることが出来たけど、

長年、そこから逃げ出せない人がいると思うと、どれだけ辛いかと、

とてもではないけど、耐え難い苦しみと想像する・・・・・

わかっていても自分自身をコントロール出来ない苦しみ。筆舌につくし難いほどつらいと思う・・・・・

他人をコントロール出来ないのは当然だけど、

自分の舵取りが出来ないことがこんなに苦しいと思わなかった。

他人から見たら『たったそれだけ』のことが当人には『どうにもならない』

最後、自分を救うのは自分しかいないと思っている。

でもその自分が、どうにも、こうにも、八方塞がりになる恐怖。

人の傷みは心の髄から理解することは出来ない。

比較出来るものではない。

気分転換と思ってDVDをみても、作りものの世界は虚構でしかない。

本を読んでも文字が頭に入ってこないので、同じ行を何度も何度も読む作業になって、

読書が苦行のように感じた。


手術するかしないかは、もはや私が決めたことでもないのかもしれない。

一週間前急変し「手術の時期はもう逸したかもしれない・・・」との先生の言葉があって、

いや素人の私でも見るからに手術に耐えられるとは到底思えなかった。

それが一週間で持ち直した。

それが犬自身の希望にも思えた。

そして生死は天のみぞ知る・・・・・

すべては見守られている。