悠久の片隅

日々の記録

無事

犬の手術。

結果から言うと、無事終了。

お腹を開けてみたら、意外なことに膵臓は問題無し。

その変わり、10年以上前にやった避妊手術の糸が腸と癒着し、

腸が固まった状態になってまったく動くことが出来なかったらしい。

それは膵炎と比べ難しい手術では無いようで、無事終了。

一気に身体の力が抜けました・・・・

これで回復するかどうかは、経過観察していかないとまだわからないですけど、

今やれることはやった。それで充分です。

腸閉塞のようなものなので、

本来ならもっと早く試験開腹すれば、良かったのだとは思いますけど、

私にはその勇気が無かった。

でも、その都度、その都度、この子にとってその時の最善と思うことをやってきたと信じて、

これ以上も、これ以下も無かったと思います。


開腹手術が始まって、先生からどんな説明をされるのか、

不安で不安で、院内のすべての物音にビクビクして待っていました。

先生から名前を呼ばれた時には

「キャッ!」

思わず叫んでしまいました。名前を呼ばれただけで、心臓止まるかと思うほど驚いてしまって

かえって、先生を驚かせてしまったようで申し訳なかったです。

考えてみれば、

私は祖父母、父母、義父母、主人、誰も手術した経験が無い。

兄弟も子供もいないので、家族が手術をしたという経験が今の今まで1度も無いことに

初めて気がつきました。勿論、私自身も1度もないです。

私は、今回待ったのは10分ほどです。

10分ほどで、先生が出てこられて上記の話をされたので、

恐怖の時間はたった十数分。

でも心臓が口から飛び出そうに怖かった。

今回、犬です。最悪安楽死でも仕方ないという思いはあった。

死ぬならせめて眠っているうちに・・・という逃げの方法があった。

だけど人間だったら、どれだけの思いなんでしょう。

私は生死と向き合う苦しみはわかっていると思っていましたが、

なにもわかってなかった。

思い上がりもいいとこです。

悲しみ、苦しみに、大小はないですし、個々まったく違うものなのだと知りました。

悲しみや苦しみに慣れるということはない。

その都度、その都度、耐え難い苦しみで、私の今までの経験の何も救いにはならなかった。


犬の手術は無事終わりましたが、

食道に炎症があって、いつ誤嚥するかわからない状態です。

誤嚥は気管支に食べ物が落ちてしまうので死に繋がります。

これは治す方法がないので、

食べた後は30分ほど立て抱っこをしなければいけないと先生に言われました。

多分死ぬまで・・・・・

今でさえ、この子は失明しているので、目が窪んでいます。

目の筋肉を使わないので、目が落ち込み、その為炎症を起こし、

毎日2回は目の手当をしないと、メヤニで1日で目が開かなくなっちゃいます。

それに加えて、立て抱っこ30分×3回(うちは3回に分けて少しづつ食べるように言われているので)

痴呆が出てるのか夜中にしばしば徘徊しているので、それも見守っていないと心配ですし、

元気になったらなったで、また大変(笑)

可愛さと手間が同等です。

生きてくれさえすれば・・・というきれい事では済まされない現実もありますけど、

いるだけで癒してくれた今までの時間への恩返しで、出来るだけのことはしていきたいと思います♪