悠久の片隅

日々の記録

混迷

アラブの春』といわれるアラブの民主化、どうなるのかなぁ。

日本でも、国民の期待を一身に背負った民主党政権交代を果たしたけど、

結局、民主党自民党化しただけで政治は停滞、国民は民主党を見限った。

エジプトも国民投票により、独裁から自分たちの手で政権交代を果たし民主化万歳のはずなのに、

軍によるクーデターで、大統領解任、拘束。

とても民主化とは言い難い状況になっている。

民主主義は、多数決だ。

体制が変わったところで、民意が即社会に反映されるわけではない。

逆に混乱したり、停滞したりと、これが民主主義の限界でもあると思うのだけど。

アラブが民主化すれば、多数決でイスラム主義が選ばれるのは当たり前で、

イスラム主義の政治で、エジプトの今の逼迫した経済を即立て直せるかといえば、

それはまた別の話なのだと思う。

多くの貧困層は、今すぐ食と仕事が欲しいのだ。民主化も独裁も関係無い。

衣食足りて礼節を知る。そういうことなのだと思う。

エジプトにしても日本にしても世界中どこでも、

こういう混乱や失敗を繰り返していくことが、改革のプロセスなのかもしれないけど、

革命に死傷者は仕方ない。そういう考えなのかな。

ともかく、軍によるクーデターで国民が選んだ大統領退陣となると、秩序も何もない。

世の中は、特に中東は、既成事実、現実が強い。

なんだかんだ言い争っても、産まれちゃったものは仕方ない。

本当は何も解決していないのだけど、力づくで現実を作っていってしまうから、

産まれた子どもがまた子供を産み、

遺恨だけを残して問題はどんどん山積みになって、本筋とは遠くかけ離れてややっこしくなってしまう。

中東問題はその積み重ねに思う。

1つの問題が片付く前に2つ3つと問題が増えていく。

イスラエルも結局は、国を乗っ取ったもの勝ちになってる。

どんどんユダヤ人は入植してしまうし、今さらどうしようもない。


経済の逼迫したエジプト暫定政権を支持する産油国がエジプトの財政支援を申し出た。

サウジアラビアから50億ドル、アラブ首長国連から30億ドル、クウェートから40億ドル。

必死にアラブの改革を叫ぶ国が、結局は、改革反対の独裁の国々に支援してもらっている。

これが現実と理想の剥離。痛し痒しの側面に思う。

アラブの民主化のややこしさは、

多数決をすればイスラム主義が票をとるのが当然で、

イスラムの人たちに政権分離などあるわけない。政権分離をしたらイスラムイスラムじゃなくなってしまう。

そうすると、

民主化すればするほど厳格なイスラム主義になっていくような気がしてしまうのだけど。

それが望みなのかな。よくわからない。


そしてシリアに至っては、もはや『アラブの春』じゃなくなってる。

いよいよアメリカが介入するのかなぁ。

アサド政権側にロシア、中国が介入。反体制派に欧米が介入。

これじゃ冷戦だ。代理戦争にもなっていく。

アサド政権にはイラン、イラク、が支援。反体制派にはサウジ、カタールが支援。

しかも

アサド政権にはヒズボラ。反体制派にはアルカイダと、テロ対テロ?

反体制派にはアルカイダも関与しているのに、そこにアメリカが支援するって、

アメリカとアルカイダが一緒に戦うのかな。

安倍首相は反体制派を直接支援って言ってたけど、それってヨルダンの難民への支援以外にってことだよね。

本当にそれでいいのかなぁ。

どこの国も自分の利としがらみで参戦しているだけで、シリアのことは考えてない。

シリア国民の半数以上がアサドに賛成しているというけど、本当かな。

それなら、それこそ、この内戦の意味がよくわからない。

支援を続ける限り、この戦いは終わらない。敗けるわけいかないでしょ、どちらも。

それに、反体制派が勝ったとしても、それからがまた試練が始まる。

とにかく早く終わらせて、難民になっている人たちがシリアに戻れて、生活を立て直せるといい。

その為の支援ならわかるのだけど・・・

国民にしてみれば、もう独裁か民主化かでも、シーア派スンナ派でもなく、

アサド政権を選ぶか内戦を続けるか、になっていると思う。

このまま内戦が続くなら、まだアサド政権のがマシ。と思ってるんじゃないかな。

安倍首相はアサド大統領に退陣要求とか言ってるけど、

そりゃ誰だってそんなことは言えるし、まっとうだけど、今は元に戻す方がマシな気がする。

ここでアサド政権倒しても、また報復すったもんだなる。迷惑被るのはシリア国民。

ともかく、シリアからアルカイダヒズボラや過激派に出て行ってもらおう。

その為にも内戦を終結させて欲しい。

アラブはパレスチナ難民、シリア難民、と、難民だらけで、このままでは共倒れになってしまう。

<中東>の考え方 (講談社現代新書)

<中東>の考え方 (講談社現代新書)

民兵を組織して、イスラエルレバノン攻撃、占領に対する徹底抗戦を続け、

イスラエル兵や米兵に対しては自爆攻撃も辞さないヒズブッラー。

そうした武装勢力としての一面が、欧米では「テロ集団」とみなされがちだが、一方で、

戦争で被災した人々に貧困救済や教育、医療や職業訓練などを提供し、

地元社会に根ざした草の根の活動を行う、NGOの側面も持っている。

武器を掲げてデモ行進する姿からは、荒くれ青年たちばかりが集う集団のように見えるが、

どうしてどうして、街中では平服の若者がボランティアで、交通整理やゴミ掃除を行っていたりもする。

あるときは自警団、あるときは災害救助、またあるときは市民運動家と、

ヒズブッラーは幅広い活動を手がける地元の青年団、といった風情だ。

ホントにね、

日本だって、特攻隊として散っていった青年たちは、皆ごく普通の青年だったと思う。

それを思うと、やりきれない思いがある。

人を殺すことが社会貢献の一つだなんて、そんなこと絶対ない。

人を殺して、解決することなど一つもない。

人と人が殺し合う必要など何も無い。

シリア人同士が傷つけあう理由も何も無い。

他の国の人が全部手を引いて、アサド大統領が国民の為に自分が何をしなければいけないか考えてもらいたい。

トップに大切なことは、何が出来るかじゃなく、自分に何が欠けているか。それを知ること。

だと思う。