悠久の片隅

日々の記録

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遠藤周作の『沈黙』を読んだら、様々な思いで頭の中がぐしゃぐしゃになって、

何をどう書けばよいのかわからなくなった。

イスラム国というとわかりにくいけど、

オウム真理教がとてつもない財源(1日の収入1億)と高度な武器をもち、戦闘員2万から3万、

組織としての体制も整い、すでに日本国家の手には負えなくなってしまった。

それがイラクにおけるイスラム国。と、考えると、いかに恐ろしいことかわかる。

その本拠地がシリアにある。

オウムが自分たちの国家を作るために、敵対する者の死を正当化したのと同じで、

イスラム国はイラク、シリアと国をまたいで、自分たちの国家イスラム国樹立を目論む。

欧米が利己により勝手に引いた中東の領土を自分たちの手に戻すというのが大義名分としてあって、

そこに気持ちは理解をしたとしても、行動を理解するわけにはいかない。

現時点で、そこは、イラクであり、シリアである。

そのことを一切無視したやり方は、テロといわざるおえない。

本来なら、イラクやシリア自身がイスラム国を壊滅出来ればよいのだけど、

政情不安のイラクやシリア政府にその力は無い。

そもそも、イラク、シリア政府を弱体化させたのはアメリカだ。

アメリカがイラクから手を引いたことで、イスラム国なるテロ組織はその力を強大にしてしまったわけで、

ただ、それを言うなら、そもそも

アメリカが中東に手を出したがために、今の状態を招いてしまったわけで、

その責任はアメリカにもある。

イラクから派遣要請されたアメリカはイラク空爆

でもシリアにあるイスラム国の本拠地を絶たない限り、組織を壊滅させることは出来ない。

その為のシリアへの空爆というのがアメリカの大義名分。

良い結果を信じて行ったことが、良い結果を生むのは目出度いこととしても、

新たなる副産物をも生んでしまう。

これは毎度毎度の歴史の試練というか、人間のすることの限界でもあると思う。

かといって、

このままテロ組織イスラム国を放置してよいわけもなく、

話せばわかる・・・

などというレベルではない現実があるとすると、

アメリカ空爆をシリア政府も容認。あるいは世界中が黙認・・・

という形をとるのもわかる。

わかりたくはないけど、空爆だけが罪ではない。

現在進行形で世界中の悪がシリアにどんどん流れて込んでいる今、

ただ手をこまねいてみていることもまた罪に等しい。

正義とはなんなのか、罪とはなんなのか、

正直わからなくなってしまう。

なんで遠藤周作の『沈黙』からアメリカのシリア空爆に思いがいってしまったかというと、

沈黙は、イエズス会の宣教の話で・・・

そこから派生して考えていくと、人類学上、

『全世界に共通した善悪の基準はあるか』という問いに対して、

はっきりした答えは得られていないところに行き着く。

これは原点が『人の幸せがどこにあるか』で、そこが違えば自ずと善悪も違ってきてしまう。

自分の正しいが他人と共有出来れば、何も問題はないが、

要は、

共有であって、

相手だけの問題とはいえず、

相手と自分の在り方を探っていくほかない。

本当は人間なんて誰もが弱くて儚い存在なのにね・・・

だから、何かにしがみつくのだろうけど。

イスラム国がしがみついているものはなんなんだろう。

オバマ大統領がしがみついているものはなんなんだろう。

そして私は?