悠久の片隅

日々の記録

夜と霧

夜と霧 新版

夜と霧 新版

著者フランクルは、ナチスによりアウシュビッツに送られた。

収容されるところから、解放されたのちまでの人間の心理の変化を

心理学者として、当事者として考察している。


長いあいだの監禁で極限状態が続くと、人は感情を失くすらしい。

自分で判断、決断が出来なくなる。

部外者から見れば、逃げるスキもあったのでは?と思ってしまうけど、

意志そのものが失くなってしまう。

解放された瞬間、大喜びかと思ったけど、そうではない。

喜ぶという感情さえすぐには取り戻せなかったという。

当事者にしかわからない心理状態。


解放されたのち、

「自分たちがされたことを思えば、こんなことぐらいなんてことないだろう。」

と、今度は自分たちが行う不正に対し正当性をもってしまうことがあるようです。

これはよくわかる。

今のイスラエルという国にも、それがあるように思う。

ユダヤ人を迫害してきたことに対する国際社会の同情と償いがイスラエル建国を認めてしまった面はあると思う。

弱者が権力をふりかざすことは、普通に起こりえる。

ユダヤ人も根本には選民意識があり、ヒットラーもドイツ民族の選民意識があった。

自分たちだけが、選ばれた優秀な民族であると。

自分たちが世界で一番優秀である

という考えの先には、他者を見下す意識がある。

それにより他者を差別したり、社会から排除しようとしたり、

結局は選民意識の原理主義がこうした悲劇を生んでいる。

社会がユダヤ民族に対ししてきたことが、今イスラエル問題として跳ね返ってきている。


人はどこまでも残酷になれるという。際限なく。

以前友人に言われたことで、

「良いことも悪いことも身についてしまうから、悪いことは1回でもしてはいけないんだよ。絶対にいけないの。」と。

私にとってとても怖い言葉で、今でも強く印象に残っている。

私にはそうして諭してくれる友人がいる。これがけっこう効く。


夜と霧から離れて、なんだかとりとめがなくなってしまった。

夜と霧は、極限状態に置かれた人間の心理。心理の複雑さが感じられる。

今シリアに対してどう対処するか、人の真価が問われる時に思う。