悠久の片隅

日々の記録

やさしい古典案内

やさしい古典案内 (角川選書)

やさしい古典案内 (角川選書)

読了。

タイトル通りの内容で、

古典という遠くて難解な存在を和らげ、認識を変えさせてくれた。

古典といっても、そんなに今とかけ離れたことが書いてあるわけではないんだね。

まず、古典の流れがわかるのが有り難い。


この本の概要。

・文字を手に入れて、すべては始まった(歌を詠む日本人)

 『万葉集』『六歌仙伊勢物語

・この思いは三十一文字じゃ収まらない(散文への目覚め)

 『土佐日記』『蜻蛉日記

・これが私たちの言葉、私たちの情熱(花開く女たちの文学)

 『源氏物語』『枕草子』『更級日記

・市井の人々の声が聞こえる(王朝時代と武者の世のはざまから)

 『今昔物語集』『梁塵秘抄

・この気持ちを名づけるなら、無常(時代の転換期がもたらした心地良い絶望)

 『方丈記』『平家物語

・貴族たちに残されたもの(生きる手段としての文芸)

 『新古今和歌集』『とはずがたり

・動乱期が心を揺さぶる(中世的ものの見方、感じ方)

 『太平記』『徒然草

・句のもとに集う人々(みんなで楽しく「座」の文芸)

 『連歌』『松尾芭蕉

・平和の時代の贈りもの(「古典」から旅立つ江戸の文芸たち)

 『井原西鶴』『近松門左衛門』『読本』『滑稽本』『そして勝夢酔』


わけがわからないものは、まずは大局観だと思う。

日本の文学の流れを知る。

古典の単語や文法を憶えなきゃ読めないのだろうけど、

それ以前に、

文学、文芸が生まれる背景、人の思い。

時代時代で、変わりゆくもの、変わらないもの。

人の思いに共感がわけば、その先が知りたくなる。

知りたかったら学ぶ他ない。

それが勉強であって、

子供の時にやってたことは、ただテストのための暗記。

この本は、各々の作品のほんのつかみ程度ですけど、すべてに通じる時が流れているから、

把握しやすい。

どの作品も、突然天から降ってきたものではない。

話は変わるけど、

たとえば、夢(寝ている時にみる夢)を記憶しづらいのは、

ストーリー性があまりなく、ブツ切れの心象だからだそうだ。

物語として成り立っていれば、意味も理解もしやすく、人の記憶には残りやすいのだと思う。

古典も1つ1つをブツ切れで見てきた私には、わけのわからない記号でしかなかった。

でも、すべてひっくるめて古代から現在に繋がっていて、その一環だと思えると、

文字でなく映像として心に入ってくるように思う。

文字は、すべて意味であって、それが映像や音にならなければ、

単なる記号では、心に響いてこない。

この本は、作者の深い知識と、研ぎ澄まされた感性で、本当に優しい古典案内になっている。

著者の他の本も読んでみたいと思ったけど、見当たらない。

最後は、今の口語体への口火を開いたのは、文学者ではなく勝夢粋というのも面白い。

勝夢酔というのは、勝海舟の父で喧嘩では右に出る者はいなかったという、

まぁ不良・・・なんでしょうね(笑)

『夢酔独言』勝夢酔

おれほどの馬鹿な者は世の中にもあんまり有るまいとおもふ。

故に孫やひこのためにはなしてきかせるが、

能能(よくよく)不法もの、馬鹿者のいましめにするがいいぜ。

粋な親父でかっこいいなぁ。

明治の言文一致以前、江戸時代にもこういう文章は書かれていて、

この文体が夏目漱石『坊ちゃん』に繋がり、現在に繋がる、

そして未来は、

どうなっていくのでしょうかね?

千年先の世界、見てみたーい。


何十年も本棚で眠ったままのこの本たち。

f:id:fujikobook:20131026191610j:image

ずいぶん、日に焼けちゃって・・・

読みたいけど、

読めるのかなぁ。

あれも読みたい、これも読みたい、と、

欲深くて困っちゃいます。