文章読本
徳川家康の重臣本多正信は、一向一揆では、反家康として戦っている。
家来がお殿様に刃を向けるなんて、背任極まりない。
結束の固い徳川として、あるまじき行為で、
家康は、一向一揆にかなり苦しめられたはずなんだけど、裏切った家来たちを許してしまうんだよね。
宗教(一向宗)上のことならば仕方ないという感じ。
宗教と主従関係の板ばさみになった家来たちの苦しさを慮ってのこととも思うけど。
正信に対しても『友』といって、生涯深い信頼を置く。
この辺が、日本人の鷹揚さというか、あっけらかんといわれる所以かなと思う。
命をかけて敵対したものを許せるってすごいと思うのです。
もう1度徳川の家臣として戻りたいという正信も、それを許す家康も、強い信頼関係で結ばれている。
これが徳川の結束の固さでもあるのだと思う。
正信は重臣でありながら、領地はたいしてもらってない。
秀忠へも「自分の息子にも加増はしないで欲しい。」と嘆願している。
現在に満足をし、欲を出してはいけない。優遇されないことを願っている。
損得を超えて大切にするものがこの時代はあった。
この時代のかっこよさは、普遍的なものではないのかな。
かっこいいって、こういうことをいうんじゃないのかな。
時代劇がテレビから次々消えてゆくけど、こういう魂は、どうやってこれからの人たちに伝えられていくのかな。
過去の遺物として、忘れ去られるのみなのかな。
今テレビをつければ、「やられたらやり返す。倍返しだ!」のセリフばかり流れているけど、
違和感ないのかな。
まだ分別甘い子どもたちが、それが当たり前になってしまったらどうするんだろう。
憎しみから生まれた思考や行為は、さらなる憎しみを生みます。
ハムラビ法典の『目には目を、歯には歯を』は、やられたこと以上の仕返しで、復讐が永遠繰り返されないことの願いで、
せめて、やられたことまでの仕返しに留めておきましょうと制定されたのが紀元前のこと。
『目には目を』はいっけんすると野蛮だけど、すこぶる現実的で、健康的なのかもしれない。
西暦2000年も過ぎて、
『倍返し』で国民全体スカっとするなんて、この国がいかに病んでいるか。
「金儲けをして何が悪いんだ」が、普通に受け入れられた日、
あの時もものすごい違和感を感じたけど、あれから日本の方向性が変わったと思う。
今回も感じる違和感。
おもてなしも気持ち悪いけど(笑)
おもてなしは心でするもので、ああいうものは口から出してしまうと、気持ち悪くなる。
「東京はみなさまをユニークにお迎えします。
日本語で『おもてなし』と表現します。それは訪れる人を慈しみ、見返りを求めない深い意味があります。
でも、やられたらやり返します。倍返しがすごく好きな国です♪」
っておかしいでしょ。これ・・・
視聴率低迷の中で、ドラマの人気は良い。
でも現実の世界で、大人が平気で口にしてよい言葉とは思えない。
社会に流され、曇ってしまいがちになる目を開かせてくれる。
高校生のためにとあるけれど、
固定観念に凝り固まった大人にも、必要かと思う。
2、3頁ほどに切り取った70作品。
2、3頁で完結しているものを選んでくれてあるので、物足りなさは無い。
どの作品にもドキリとさせられる。
別冊には、それぞれの作品の解説があり、
感動しながら読んだ割には、自分が作者の意図を全然受け取っていなかったり、
さりげない文章の中に緻密な計算があること、文章とは数学や物理なのかと一瞬見まごう。
社会の中で他者との意思の疎通は大事なことで、
この複雑な世の中で、私は他者の思いや言葉を受け取れていないのかもしれない。
出来ていることの自覚は出来ても、出来ていないことを自覚するのは難しい。
高校生にはこの本は読んで欲しいなぁ。
将来の心の糧になるものが、きっと見つかる。
いや、欠片程度かもしれないけど。
欠片でもダイヤはダイヤだからね。自分の中でどんどん輝きを増してくる。
国語の教科書臭さは否めないけど、何かに気づき、何か目ざめるものがあるんじゃないかな。
本は自分の方向性を指南してくれるもので、
でも、
いつ、
どこで、
そんな本に出会えるかはわからない。
自分が動かなければ、本からはやってきてくれないからね。
そんなきっかけになってくれるのがこの文章読本じゃないかと思う。
自分の目で世界を見つめる。
これだけ情報が氾濫し、常識が邪魔をする世界にいて、自分唯一を見つけるのは難しいけど、
自分が自分であるために、外に向かうのと同じ深さで自分の内側と向かい合いたい。
そういえば、
なんで英語の学習ばかりもてはやされるのかと思ったけど、
英語は、他者とのかかわり(社会)の中で必要とされ、
古典は、自分の内面とのかかわりになってくるからかなって思った。
英語は横の世界、古典は縦の世界のような感じがする。
社会の中の自分も大事だけど、すべてをまっさらな中に置いたときの自分も忘れではいけないように思う。