悠久の片隅

日々の記録

花燃ゆをみた。

日曜日、鍋祭りに行った♪
この町の冬の風物詩なのかな、
冷たい雨の落ちる中傘をさして、それでもかなり盛況で驚いた。
ご当地鍋、どれを食べようかウロウロ迷いながら、主人と2人で3種類食べた。
他にコロッケとソーセージも食べてお腹一杯♪
大きな鍋で作る鍋は、どれもおいしい。
テントの中で隣り合った人たちと、「それはどこの鍋ですか?」とお互いの食べている鍋の
会話を交わしたり、寒い中で、心も身体も温まる♪
会場は5,6ヶ所あって、2ヶ所だけ行って早めに帰ってきた。
午後には雷が鳴り出し、バチバチあられが降ってきて次第に雪になった

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第1回のNHK大河『花燃ゆ』をみた。

大河ドラマをみるのは新撰組以来、久しぶり。

ドラマ自体も久しぶり。

最初は寅次郎(松陰)が早口で、ついていけない感があって。

せっかくの良いセリフも頭で反芻する前に次へいってしまい、もったいない!もったいない!と

思いながら見ていたのだけど、こういうのもきっと慣れなんだろうなー。

テーマ曲のかっこよさもさすが大河。ちょっとロールプレイングゲームの音楽を感じさせるけど、

そういうの好きだからいい。

物語は面白かった。これからも見たい。見忘れなければよいのだけど。

主人公『文』は松陰の妹というより、のちの久坂玄瑞の妻というほうが、

ほぅほぅ・・・という感じもする。

なんにせよ、過激派長州か(笑)

これを見れば、長州への見方も変わるでしょうね。

幕末は、尊皇だ!攘夷だ!開国だ!倒幕だ!と、ややこしい。

なんでペリーが来たことで、日本がこんなにややこしくなるのか、

幕末そのものより、こんなややこしい表現方法しかないのか、そちらの方が私には不思議だ。

幕末期、日本は経済の流通で国内がグジャグジャになった。

幕府の改革はうまくいかず、

そんな幕府を尻目に、薩摩、長州、土佐藩など、藩独自で建て直に成功した雄藩が力をもってきた。

『攘夷』は、

儒教中華思想からのもので、

中国を見ればわかるが、自分たちが正しくて、他の国や民族は『野蛮』である。

だから、外国人の排除、鎖国を維持しようとする考え。

尊王』は、

幕府将軍自らが、天皇を敬い、尊ぶ姿勢をあらわすことで、諸大名、武士の忠誠心、一体感を強め

幕藩体制を整えようという考え。

尊王と攘夷をくっつけて、内外の国難を乗り越えようとしたのが『尊皇攘夷』で

水戸藩、水戸学で起こった。

水戸といえば、徳川ですからねぇ・・・

ものすごく真面目だったんだと思う。

徳川として天下をとりながら、(自分たち)覇者を尊ぶなかれ。あくまで天皇が至上である。と。

幕府だって、好きで開国に向かったわけではない。

そもそもアヘン戦争って、

あまりにひどい。

アヘンを売りつけられアヘン中毒にさせられた清国は、

イギリスにアヘン貿易を禁じた。

解除を迫るイギリスは近代武装で清国に戦争をしかけ、清国を半植民地化させた。

列強の圧倒的強さに、強大清国が屈服した。

こんな大義名分の戦争があるなんて、

というより戦争に大義名分なんて意味なくて、

アンタの大義名分を社会にもちださないでよ!

というのは現代も同じ。

これで日本が穏やかでいられるわけがない。

ペリー以前にも異国船がボチボチ来て「開国せよ」と、日本政府に迫っていた。

「嫌です」といつまでも断っていたら、武力で制圧され、清国の二の舞になる。

幕府は開国なんてしたくないけど現実には『開国』しかない。

その幕府の『開国』が幕府弱体として諸藩の目にうつり、『倒幕』へとなっていく。

水戸学から生まれた『幕府主体の尊皇攘夷』は、幕府批判武士による『倒幕の尊皇攘夷』というものに

すりかわっていく。

どんなに純粋な水も、時間と共に淀んでしまう。徳川政権も長く続けば、内から淀んでくる。

日本国の改革より先に、徳川幕府自身の改革がうまく出来てなかったのがすべての原因なのかとも思う。

ただ、ひとつ思うのは、

無理に明治維新をしなかったとして、

幕府に任せて開国をしたとしても

日本はそれからそれなりの道を歩めたような感じも私はするのだけど・・・

それを許さなかったのが『時』ってことなのかな。