悠久の片隅

日々の記録

五箇山へ

司馬遼太郎を読んでいたら、五箇山のことに少し触れていたので、

プラっと五箇山まで行ってきました。

庄川に沿って飛騨合掌ラインを上がっていく。

山合いを走る飛騨合掌ラインはカーブの連続ですけど、道幅も広く眺めも良く、快適なドライブ。

ただ地元の人は飛ばすんで、こっちも必死。

 

途中ダムの橋を作ってました。

地形が地形なのでしょうがないんでしょうけど、ダムだらけ。

 

グレイズアナトミーで、

『自然の中にずっといると、人間は変になる』と言ってましたけど、

自然って、私たちの愛する自然は、『人間用の自然』なんですよね。

自分たちが快適に過ごせるところの自然。

未開のジャングルでアナコンダやヒルと共に暮らしたいわけじゃない。イノシシやクマに適した自然じゃない。

『春の数え方』にあったように、自然とは戦いの場。

自然とは厳しもの。自然を攻略しなければ人間がやられてしまう。

その為の文明であり、近代化だったのだと思う。

『ジャングルに居続けても、コンクリートジャングルに居続けても、人はおかしくなる』

ってことでしょうね。

五箇山、相倉集落到着。

 

山はいいな~~~~~~~~~~~~~~!!!

蝶がいっぱ~~~~い!!!

白川郷から五箇山というところは、

縄文時代からそのまま室町時代にきたようなものだと司馬遼太郎はいう。

あるひとりのキコリさんが京都の蓮如の元に通い、浄土真宗というシステムを村に

取り入れた。

「人はこういうふうに生きましょう」という道徳が入ってきたのでしょう。

それにより人と人との結びつきが円滑になり、相互摩擦が減る。

合掌造りの『合掌』というネーミングもアミニズムが強いですね。

自然を攻略というより、信仰心がこめられてる感じがします。

過酷な地に住むには、知恵や工夫、祈りが必要で、こういう場所ではそういう力を強く感じます。

 

ヨーロッパの人々は、精力的です。いかにも肉食。

そういう人々をまとめるにはキリストという強い力が必要で、

中国という広大な地の他民族をまとめるには儒教という強い力が必要だったというのもわかる気がします。

それと比べると、親鸞だったり蓮如でまとまる日本は草食系だわ。

黄色いシャクナゲ

 

  

合掌造りというのは、家というより、工場という感覚のものだそうです。

土間で和紙が作られ、床下で硝煙が作られ、2階はお蚕さんの部屋。

今日もすごく暑かったのですけど、合掌造りの内部はひんやりとして、

ひとり囲炉裏に座ってビデオを15分ほどみているうちに、汗もひきました。

世界遺産に認定され、世界の宝となって、嬉しさ半分、それが良いことなのか疑問が半分(笑)

人形山山頂にはまだ雪が残っています。

白山白川郷ホワイトロード白山スーパー林道)はまだ除雪中で開通はまだのようです。

 

帰りは、道を間違えて城端を通って帰ってきました。

  

城端は小麦畑の黄色が鮮やかに風に揺らいでいました。

 

そうしたら、携帯が鳴って、主人から電話。

「今小麦畑ですれ違ったよ。どこ行くの?」と。

ヒィーーーーーーーーー!なんでこんな所で(汗)

そういえば、白い車とすれ違ったわ。車少ないから、すぐわかる(笑)

「こんなとこまで遊びに来てるの?」と言われ、

こんなところどころか五箇山まで行ってきたんだけど、それは言わないwww

「スピード出し過ぎ!それじゃーねー。」だって。

出してないよーだ!

さてと、次はどこ行こうかな♪