悠久の片隅

日々の記録

ローマ帝国の興亡

BBC放送の『ザ・ローマ 帝国の興亡』をみた。

当時はローマ帝国の繁栄が永遠に続くと思ったでしょうね。

現代からみれば、3、4世紀時代の繁栄が永遠に続くと考える方が難しい。

栄華盛衰。

ローマ帝国も、モンゴル帝国も一時代の栄華に過ぎない。

ローマの皇帝ネロ。

明日にも敵が攻めてくる、戦術を練っているその席で、

ネロ「私の歌声に相手も涙を流すに違いない!私は歌を作らなければ!!!」と、

芸術家気取りな大いなる勘違い。

暴君に意見を言える者はいない。そうすると自分を神と思ってしまう。

神の歌声で敵を滅ぼせると本気で思ったのだろうか。現実がまったく見えていない。

日本の第二次世界大戦も似たようなものか。

日露戦争に於いて、全力で戦い勝った日本。余力を残して負けたロシア。

それを日本の圧倒的な勝ちと穿った評価をし、メディアが誤った情報を流し、

国民が誤った認識をもってしまった。

日本は強いのだと。日本国中が奢り高ぶってしまった。

自分を神国と信じてしまったところに、もう現実性はない。

諸葛孔明は政で大事なのは『公正、公平、公開』であると。

諸葛孔明はキリストと同じころ生まれた人。

現代でなお実行出来ていない。

日露戦争の記録は軍部によるねつ造。

そして第二次世界大戦敗戦後は、アメリカに没収される前に資料を燃やしてしまった。

話にならない。

フン族が移動し、ゴート族を襲う。ゴート族が移動し、ローマを襲う。

玉突きのようにゲルマン民族の大移動が起こる。

一時代の遊牧民は強いなー。

ゴート族は、ローマを乗っ取ろうとしたわけではない。

定住地が欲しかった。

安心して住める場所をローマの領地内に確保してもらうことが望みだった。

ローマを制圧しても、それがまた新たな火種となり、戦いを生むことがわかっていたから。

武力で劣るローマは、ゴート族の講和条件をのむ。

そしてゴート族が兵を引いたところで、約束を破って攻撃をしかけてくる。

ローマ人も高麗人も、遊牧民を野蛮な獣とみている。

まぁ、日本も大和朝廷からみれば、関東以北は蝦夷(異民族)とされたわけで、

国を問わず、権威をもたせると人間はロクなことにならん。権威の『威』の字がロクなもんじゃないしね。

高麗とモンゴルの戦いは40年に及んだ。

武力で圧倒的に上回る蒙古軍は高麗の領土を蹂躙した。

そうして講和条件を叩きつける蒙古軍に対し、高麗は外交で、

のらりくらり、そしてとり交わした約束を結局は守らない。

モンゴル人は言う「お前らは嘘ばかりつく!今度こそ約束を守るんだろうな!」

と言って兵を引き揚げる。

そして、ゴート族も、モンゴル人も「また騙された!」と、なる。

時代は違うけど、ローマも高麗も、

弱者が生き残るには、相手をだますことが外交手腕で、そこに罪悪感は無い。

その後あれだけ強かった遊牧民が消えてゆくのは、武器の発達によるもので強力な武器の前に倒れていく。

そして、燃料が石炭から石油に変った時点で、石油を持たない日本の戦争は負けだったのだ。

どんなに性能のよい戦艦や戦車があったとしても、燃料無しでは戦えない。

遊牧民がいくら馬を駆使しても勝てなくなった現実に同じ。

今も日本に資源が無い現実は変わらない。

石油エネルギーの時代に石油が無いのだから、世界で生きてゆくのは大変だ。

でも良いことがあるとすれば、

産油国には不労収入がある。頑張らなくても国はやっていける。

良いことのようだけど、そういう国はどうしても奢ってしまうし、努力を怠る。

エネルギーの無い国は無いことの強みを、ありがたく思わなければ。

人間こそ資源。

謙虚に慎ましく、でも胸をはって生きてゆきたい。