悠久の片隅

日々の記録

東ローマ帝国

BBCの『ザ・ローマ 帝国の興亡』をみた。

歴史家監修の元、古代の資料を忠実に再現したドラマだそうですが、いまひとつ・・・ふたつ・・・みっつ・・・

ネロの狂気っぷりは、凄まじかったけど(笑)

続けて、TBSオンデマンドの『東ローマ帝国』をみている。

今十字軍の遠征始まったとこ。丁寧に作ってあるドキュメンタリーで、面白い。

ビサンチン文化に圧倒されながらも、

カメラワークがゆっくりすぎて、

建築、美術を回し続けられると、もう10回以上・・・・・寝落ち。

東ローマ帝国の国民の大半はギリシア系だが自分たちをギリシア人といわずローマ人としていた。

ただ古代ローマ帝国とは領土も文化も違うため、

便宜上『東ローマ帝国』が通称使われる。

歴史上『ビサンツ(ドイツ語)帝国』ということもあるが

建築、美術では『ビサンチン(古代ギリシア語)』

そういうのが、欧州はややこしい。

東ローマ帝国」「ビザンツ帝国」「ギリシア帝国」「中世ローマ帝国」これだけの呼び名がある。

本人たちは、あくまで『ローマ帝国のローマ人』としていたようですけど。

宗教は正教会

これまた「正教会」「ギリシア正教」「東方正教会」と呼び名がいくつかある。

英語でオーソドックス(正当派)チャーチというのだから、

キリスト教正統派・・・ってことなのでしょう。

東ローマ帝国皇帝は、世襲もあったが、実力と運があれば皇帝になることも出来た。

周辺国とも、時には外交、時には軍事力、と柔軟性がある。

これが東ローマ帝国が千年も続いた理由であろう。と。

その後、オスマン帝国によって首都コンスタンティンノープルは陥落する。

東ローマ帝国は滅亡。コンスタンティンノープルはイスタンブールとなり、

これにて中世は終わりは告げる。

オスマン帝国は現在のトルコ。

すごいなーと思うのは、

東ローマ帝国の建築、美術が今も多く残っていること。

トルコは民族が複雑で一時は、

「トルコ国内に住む正教会信者のトルコ語話者はギリシャ人、逆にギリシャ国内に住むイスラム教徒のギリシャ語話者はトルコ人と規定され、国民の交換・・・・・・・・・」

なにがなんだか、むちゃくちゃだなー。

ともかくイスラム教が主のトルコに今も正教会の中心がある。

正教って、全然知らなかったけど、

今でも聖職者は、

朝3時4時に起きて、3,4時間礼拝をして、労働(自給自足)をして、また夕刻の礼拝、そして個人礼拝。

食事はパンと木の実のみ。

食事の時は食欲が増さないように、お祈りが流れ、会話はしない。

崇高で厳格です。

お祈り(聖歌)を聴いていると、不思議とコーランのような響きを感じた。

偶像崇拝を禁じられているため、十字架をネックレスとしてつけるのは、

ここから始まった・・・かな。

私も以前ダイヤのクロスを常につけていたけど、

こういう話を聞くと、遊びでつけられるものではなくなる。

正教会は、偶像崇拝が禁じられ、イコンのみ許されている。

イコンに描くものも、神を描くのは神なので影を描くという意味で、

立体感があってはいけないし、表情もない。

面白いなと思うのは、美術も宗教と共に開花してゆくものらしく、

歴代の皇帝の肖像画を見ていたけど、絵がどんどん下手になってゆく(笑)

古代ギリシャといえば

 

こういう力強さがみなぎっている彫刻を思い浮かべる。

そして東ローマ帝国の建築。(ビサンチン文化)

 

圧倒される美しさ。

それが皇帝の肖像画がこんなんばっかりなのは何故だ・・・

 

東ローマ帝国の存在感を感じさせることば。

ウクライナのイケメン修道士さんが「東ローマ帝国が無ければ、自分たちは無かった」と、

東ローマの歴史を学んでいた。

国を見る時、その国の宗教を見てしまう。

本当は、宗教など関係なければよいのだけど現実問題、

宗教が大きくかかわっているから、宗教抜きでは考えられない。

東ローマ帝国は、今は地図上に亡き国ではあるけど、

今のロシア、ヨーロッパを考えるには、ここを通らねばと感じられる。

思っていた以上の重みです。