悠久の片隅

日々の記録

<a href="http://ameblo.jp/fujiko-diary/entry-10442515232.html">「蟹工船」 小林多喜二</a>

読んだ本がずっと頭を離れない。

頭の中で、まとまらない。

泣けて泣けて

読み終わっても完結出来ずにいる。

蟹工船 一九二八・三・一五 (岩波文庫)/小林 多喜二

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蟹工船は、新潮からも角川からも出てるけど

中を見比べて岩波が一番、(私にとって)文字が読みやすそうだったのでコレにしました。

行間、活字、紙質、

そうゆうものは、ネットではわからない。

わからなければわからないでかまわない、書いてある文章は一緒なのだから。

でも、

手に取ってモノの感触を知る。

その良さに、ふっと心が和む。

この頃、ほんの些細なこと、当たり前のこと、に感動してる自分がいる。

なんだかとっても新鮮。

著者小林多喜二は、

警察署内で死んだ。

多喜二の遺体は、

下っ腹から両膝まで墨と赤インクで塗ったかと思うような色で

いつもの足の2倍にも腫れあがっていた。

そしてそこには、釘や針でぶすぶす刺されたような跡があった。

彼が作家であるがためなのか、

右手の人差し指は手の甲につくほどに無残にへし折られていた。

顔はひどく腫れあがり、首や手首には紐で縛られた跡もあった。

あきらかに警察署内で拷問が行われたのだろう。

だが、

警察の発表は心臓麻痺。警察の落ち度は無し。

その遺体解剖は、どこの病院も拒んだ。

蟹工船」という小説より、

多喜二が、小説を書くことで警察に捕まり、

真冬に丸裸にされ、殺されるまでの限りない暴力を奮われた

その事実の方が、何倍も私の胸に訴えてきた。

ただ、

私が泣けたのは、

この小説でも、あとがきにある拷問の事実でもない。

多喜二の母の視線で書かれた本を読んでのこと。

多喜二のこのむごたらしい遺体を前にし

「ほれっ!多喜二!もう1度立って見せねか!みんなのために、もう1度立って見せねか!」

そう放った母の言葉だった。