<a href="http://ameblo.jp/fujiko-diary/entry-11223919564.html">暢気</a>
志賀直哉の『転生』という話が異色で面白い。
口うるさい夫とおっちょこちょいの妻。
あまりに釣り合わないので、次は鴛鴦(おしどり)に生まれ変わろうと2人は約束する。
何十年か後、癇癪もちの夫は死んで約束どおり鴛鴦に生まれ変わり、妻が生まれ変わるのを待つ。
(まったく、いつもこうして待たされる・・・)と暢気な妻を思い、ブツブツ文句を言いながら。
そうして、暢気な妻は暢気に過ごし何年後かに死んだ。
ところがこの妻、おっちょこちょいなもんで
豚に生まれ変わるのか、
キツネに生まれ変わるのか、
鴛鴦に生まれ変わるのか、
忘れてしまった。
キツネか鴛鴦のような気がするが、2択でいつも失敗していたことを思い出す。
慎重に選んで、
キツネに生まれ変わってしまったorz
鴛鴦の夫に再会出来たものの、
おっちょこちょいなキツネなので獲物を捕まえられず
(これは大事な夫だぞ)と思いつつも空腹に負けて、結局食べてしまう。
って言う話。ちゃんちゃん!
転生しても
性格(本質的なとこ)は何も変わってないのが可笑しい。
一足先に鳥になった夫が、不満げな顔してイライラ待ってる姿を思うと可笑しくてしょうがんない。
そして、同じとき、何も考えず暢気に過ごす人間の妻を思い浮かべるとやはり笑える。
何に生まれ変わろうと、魂がそのままなら
あんまり変わりはないという発想は、初めてだ。
そして
この妻のおっちょこちょいぶりが自分と重なる。
せっかく天国行きの切符をもらったとしても、道を間違えて地獄に行きそうな私ヽ(;´Д`)ノ
でも地獄へ行っても、そこを天国と思い込んで暢気に暮らす平和な私( ̄▽ ̄)=3
私は(次に生まれ変わったら・・・)などと言う今生の約束など
間違いなく忘れるんだろうな。
円満や幸せを来世に求めても仕方ないのかもしれない。
今幸せと感じなければ、
次、どこのどなたに生まれようと、
明日や明後日に日付が変わろうと、
あまり変わりない気がしてきた( ´艸`)
私もバカでもこのまま暢気に暮らしていれば幸いに思う
志賀直哉にしては異色の作品だけど、
癇癪もちの夫と言うのは、よく出てくるパターンだな。
また
『暗夜行路』は長編と知らず読み始めて多少は大変だったけど、
これだけの長編と知らなかったから読めたと思えば、幸いに思う。
妻を許したいと思う。
許せるとも思う。
だけど、ふとした時に心の奥のわだかまりが顔を出し、態度に表れ、相手も自分も傷つけてしまう。
どうしたらよいかわからず葛藤する。
そして妻と離れ、自然と向き合う。
自然と向き合い、その大きさに包まれ、自分がそこにまた還元されるような心持になる。
その時彼はその無限の喜びに全てを超越する。
起こった出来事といつまで向き合っても解決しない。
向き合う方向を変えて、ようやく彼は何かを踏み越えた。
自分の起こした事が自分のみに却ってくるわけでなく、周りに作用する。
人間は皆その終わりのない連鎖を繋げながら毎日を過ごしている。
その大きな連鎖を包んでいるのが無限の宇宙。
どんなちっぽけな自分も包み込んでくれるその大きな在り難みを感じ、ようやく目の前が見えるようになる。
愛は物事で左右されない。
ラストシーン、彼が死ぬのか助かるのかは書かれていないが
命の終わりが物事の結論ではないのだと思った。
いい終わり方だな。
志賀直哉はほとんど短編なので30作ほど読んだ。
そして飽きた(笑)