悠久の片隅

日々の記録

<a href="http://ameblo.jp/fujiko-diary/entry-11286681239.html">罪悪感</a>

父が死んで2,3年は私はおかしかったかも。

「父が死んで1年後の私の日記」

毎日毎日「死にたい」と口にする父に いつもかける言葉が見つからなかった

自分の身体の自由が効かないことの辛さ、惨めさ 痛いほどわかるから

まして、精神の錯乱。

頑張って と思う反面 もうラクにさせてあげたかった

でも 今になって思う

ひとこと「私のために無理して頑張って生きてよ」と言えばよかったなって。

うつを患ってる相手に「ガンバレ」は禁句だと言うけど

「娘が悲しむから頑張らなきゃ!」って

自分の為でなく「誰かに必要とされてる自分 誰かに愛されてる自分」を感じさせてあげたかったと思う

「父の死」に対しては受け入れてる

人は間違いなくいつかは死ぬ 早いか遅いかだけの違い

「もう薬は飲むのをヤメよう」と父と二人だけで相談して決めた

それが死期を早めることになったけど それも納得してのこと

やっと苦しみから解放されて大好きな母のとこへ行けたね よかったねと思う

父を亡くした寂しさは 私内部のことだからそんなことは私自身が耐えればすむ話

でも父に対する罪悪感はあの日から まったく変わらない

申し訳ないと思う気持ちで私は 今もどうしようもなく苦しい

まったく動けない父が 誰にも見守られず ひとり逝ったことを思うと

「苦しくて私の名前呼んだかもしれない きっとそうに違いない・・・・」そう思うと

毎晩一人で寝かせていたことに どうしようもなく重い罪を感じる

もちろん夜中に数回必ず様子は見に行っていたけど

人が「安らかな死に顔だった」というのを聞くと私は胸が引きちぎられそうになる

父の死に顔は苦しみで歪んでいた

母は事故で顔にも傷を負ってた

安らかでない死に顔がどれほど残酷か皆は知らない

罪を犯した人間が「許してほしい」って言うけど  それはありえないってことを知った

絶対 私は許されてはいけない

生きてる相手になら許しを乞うことは可能だけど 亡き人に対しては

詫びることすら出来ないのだから 許して欲しいなんて思えない

これほど重い罪はない しかも罰せられない 償うことも出来ない

「本当にごめんなさい」と毎日手を合わせることしか出来ない

これだって これしか出来ることがないからするわけで(自分に対する慰め?)

「寂しい」と思う私の中の感情は そんなのどうにでもなる

「申し訳ない」という罪の意識は 時間なんかで解決しない 今もどうにもならず苦しい

一生罪を背負って生きていくしかないと思う

もしも 私の願いがひとつだけ叶うとしたら

あの日あの時に 時間を戻したい

死なせたくないんじゃない 死の瞬間そばについていてあげたかった

それだけ ホントそれだけでいい

日記を見ると・・・あの頃の私は罪悪感に苛まれていた。

それと同時に自分が生きてる意味がどうしてもわからない。

私はなんで生きているんだろう・・・

そればかり考えてた。生き方がわからなくなってた。

それで悩んで悩んで出た結果が

「人間は、自分のためだけでは生きられないんだ!」

そんな風に思ってしまってた。

思い込んじゃったんだね。おかしくなってたんだと思う。

多分職場で(早く死にたいなー)とでも言ったんだと思う。

そしたらそこにいた人が

「あらやだ!生きてたらまだまだいいこといっぱいあるわよ!」と言うから

こいつアフォかと思った。

いいことがあるくらい知ってる。

悪いけど、アンタよりは私の方がずっといいことあると思う。

でも・・・だからなんなの???

人間いいことだけじゃ生きていけない・・・

もう自分の人生が楽しいだけだとしても、生きる価値を全く見出せなくなってた。

楽しいからなんなの???

よく、自死した人に「なんで・・・生きていればいいこともあるのに・・・」という人がいるけど

それは全く見当違いで、

お金があっても、楽しくても、幸せでも、生きる指針が無くなってしまうことはあるのです。

お金があっても、楽しくても、幸せでも、そこにはなんの意味も無いのです。

今も罪悪感はあるけど、そういう虚無感はまったくない。

(私なんで生きてるんだろう・・・)なんて

なんで考えてたのかわからないくらい、まったくない。

父の介護は、3年くらいだったと思う。もうちょっと長かったかな。

死からは2,3年は苦しんだと思う。

でも、今はもうあの時の自分の心理状況をはっきりとは憶えていない。

誰でもその苦しさはその時の本人にしかわからない。

自分のことですら、過去になってしまえばよくわからない。

子供から大人まで悩みは人それぞれだけど、何にしても本人にとってはこれ以上ない苦しみであること、

それだけはわかる。