悠久の片隅

日々の記録

葛藤

吉本隆明は、母親との関係がその人の性格に大きくかかわってくるという。

とくに1歳までが、一番大きく影響する。

太宰や三島の不幸はすべてそことの葛藤なのだと。

そこがうまくクリア出来ず、自分自身を破滅へと導いてしまった。

犯罪者を見る場合も、その時の職業など関係なく、

幼児期の問題が解決出来てないと考えた方がよい。

1歳までの次が幼児期まで。

その次が14歳くらいまで。そこまでで性格はだいたい決定されてしまうという。

私は生まれて3ヶ月にはもう保育園で、保育園には知り合いが迎えに来てその家で過ごし、

親が迎えに来るのはもう私が寝た後のこと。

こういうのを、育ちが悪いと吉本はいう。

そして母親を早くに亡くした場合、一生母親のことを考えてるという。そこから抜け出せないと。

ふむ・・・私か。

なんの根拠があってそういうことを言うのかわからないけど、残念ながら私に限って言えば

それはすべてハズレだ。

まったく、吉本隆明は全然ダメだな・・・・・・

と、思うのだけど

どれだけ言われようが

私は吉本隆明が嫌いではない。

何故意見が合わないのに、嫌いになれないというか好きなんだろうと考えると、

やっと気がついた。

私はファザコンなんだ・・・

それも極度の。

父親が好きとか嫌いとかそういう単純な話ではなくて、

私にとって父とは哀しみの塊。

哀しみや怒りをすべて自分の内に閉じ込め、常に張りつめた神経の中でやっと呼吸をしていた人。

それは娘の私から見ても病的で、痛々しかった。

そっか・・・

うちの父は生まれてすぐ母親から離されたんだ。

その母もそして父も早くに亡くした。

これが吉岡隆明のいうところの父の葛藤なのかもしれない。

或る日、私が父親の遺品を整理しながら日記を開くと

「晴れているのに 青空が見えない」

そのひとことが書いてあった。

(本人は詩を書いたつもりはないだろうけど)私はこんな哀しい詩は見たことがない。

何があったか知らないけど、あまりに哀しくそれ以来日記は開いていない。

あんなに性格が歪んでいる太宰を吉本は好きなのだ。

それは、捻くれた自分をいかんともしがたいその男の苦しさがきっとわかりすぎるからなのだと思う。

1歳までの育ち方など、自分じゃどうにも出来ない。

それと戦い続けなければいけない宿命。

そして、私はそのいかんともしがたい気持ちのわかってしまう吉本が好きなのだ。

父も捻くれてた。私に対して癇癪を起こす。そして自分で後悔する。

他人は言う。うちの父ほど穏やかな人はいないと。

そこに歪みがある。私はその歪みがかわいそうで仕方なかった・・・

「父が死ぬ1ヶ月前の私の日記」

朝「んじゃ仕事行ってくるね~」と出掛けに 父に声をかけたところ

また 床にころがってる

ハァ・・・・・・何故ほとんど動けないのにベッドから落ちるのか不明なのだけど

しかも おしっこでパジャマの前ビシャビシャ

オムツ当ててるけど漏れちゃう

「ごめん、父のことでちょっと遅れます」と職場に電話

ヨイショヨイショ 持ち上げようとしたけど 一人じゃ起こせない

もう無理だ(涙)

しょうがないので、隣りの家に助けを求めると おじちゃん来てくれた

だけど2人でも 持ち上げられない

うちにバタバタ出入りするのを見て もう1軒おじさんが来てくれた

「何かあった?」

2人 手を貸してもらって ようやくベッドに持ち上げることができた

「スイマセン。ご迷惑かけます」

着替えをさせて ようやく職場へ

「あれ?休んでいいって留守番電話に入れたよ」

と、同僚が。

見てる暇なかった!!!←すでに汗だく

ありがたいなぁ この職場 みんなみんな暖かい

「でも もう来ちゃったから働かせて」

仕事を続けるのも限界かな・・・

昼休みに帰宅すると・・・・・またまたおしっこで 布団も毛布も何もかもビシャビシャ

ココに寝かせとくわけにいかないので 隣りの部屋に折り畳みベッド用意して

着替えさせて、父を車椅子に乗せる これだって簡単にはいかないんだけど。

車椅子に乗せた途端、「あっ・・・おしっこ出ちゃった」と。

なんで オムツから漏れちゃうんだろう(涙)

車椅子もビシャビシャ

濡れた布団と車椅子を 干そうと外に出した たった5分間

大雨降っちゃって 余計ビシャビシャ  

ふと見ると ベッドサイドのコップが倒れていて そっちも床水浸し

もう助けて・・・・・

今日だけで 何回着替えさせたんだろう 多分7,8回くらいかな

腰も悲鳴あげてる

クリーニング屋さんに 羽毛布団と毛布とベッドパットを出したら

「おしっこは倍の値段になっちゃうんですけど・・・」

「ハイ、いいですよ」

「羽毛布団が12000円で・・・・・」

「 やっぱヤメよう(汗)」

毛布は昨日買ったばかりの新品だったので まだ風合い損ねたくないので出したけど。

度々こんなことあるといけないので ウオッシャブルの毛布を本日購入

途中 スタバで ラテ飲みながら ひと休み オイチィ♪

帰ると またまたおしっこで・・・・・

今日は、すごく調子が悪いみたい。身体がまったく動かない。

少しでも 力が入るのと 全く力が無いのでは 大違い。

そんな時は、目はウツロになってるけど 意識はシッカリしてるから 余計可哀想かも。

疲れてると思ったので おやつのあとに

精神安定剤」と「睡眠薬」を出して ラクになるからコレ飲んで休んでねと言ったのに

あとで見に行くと  お目目パッチリ

睡眠薬 飲んでないじゃん

「あれ?飲んだハズなんだけどなぁ」って・・・・・

2粒飲むんだよって3回も念を押したのになぁ。やっぱり全部面倒みないとだめ?

夜 薬を渡そうとすると

口開けて待ってる

「そのくらい自分で出来るよ、やってね」と言ったけど、

結局落としてどこへいったやら?

もう無理かな・・・・・限界かな・・・・・

「入院したほうがいいかな・・・」とちょっと口をすべらせてしまったら

声をあげて泣き出した

げっ・・・ごめんよう

そうゆう意味でなく

私の世話になる方も心苦しいんじゃないかと

かえって赤の他人の方が 気がラクなんじゃないかと

助けは どこに求めればいいんだろう

疲れたな

「父が死ぬ2日前の私の日記」

このところ、父の精神状態は安定している

と言うか・・・錯乱状態がないのはいいけど、気力も全くない

視点が定まらないし、意思表示もあまり出来ない

大丈夫なのだろうか ふむ・・・

筋肉が日に日に衰えているのが はっきりわかる

今は、もう自力ではベッドから身体を起こせなくなった

一人では、座っている姿勢も保てない

なにも力のない人間は、右か左かにどんどん傾いていく。不思議だけど。

「立って おしっこしたい」とも言わなくなった

立ってすると 失敗して床もビショビショ、パジャマもビショビショになり

だいたい、ふにゃふにゃな足をなのだから支える私が限界で

かえって今の方が ラクなのかもしれないけど。

でも、おしめ濡れたまま ずっと寝てるとお尻冷えそうだから こまめに取り替えなきゃと思うと

結局 長時間家を開けることは出来ないん

今日は 1日何も食べないし、何も飲もうともしなかった

具合悪そうだけど、ぽーっとした表情でいるだけで、どこがどうなのかわからない

ただ、気になるのは この人は生きてることが最大の苦痛なのだろうと。

もしかしたら自分で命を縮めようとしてるのではないかと・・・・・

薬も食事も拒否するってことは そうなのかな・・・・って。

人に迷惑かけないと 生きていけないって つらいだろうな

生きるってつらい

この翌々日、父は朝死んでた。

ひとりで逝ってしまった。

私は、今も父に対して後悔と罪悪感しかない。

誰がなに言っても大きなお世話だ。

父は死のうとしてた。

私は死んで欲しいと願った。

私は今も十字架を背負って生きている。

今でもしょっちゅう父の夢をみる。そして夢の中でも父はいつも不機嫌な顔をしている。

それは、ファザコンから抜け出せない私の投影なのだと思う。