悠久の片隅

日々の記録

永遠の悔恨

お昼ご飯、十穀米にした。

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黄色いプツプツは、学校のインコのエサを思い出すけど(笑)

通学路のハコベもとってきてあげてたな。インコはハコベ好きだよね。

食にはこだわりがないから、なんでも美味しくて嬉しい♪


遠藤周作のいう、自分の醜さからの再生。

私は今そこで格闘しているんだと思う。

本当に本当に、

父の介護しながら自分の醜さがむき出しになって、

身内はダメですね。

とことん醜さが露わになる。

昨日も近所の人に「本当によく1人で看てたわよね・・・偉かったね・・・」と言われたけど、

父の前でわざと嫌な顔したり、冷たい態度とったり、心の中で早く死んで欲しいと願ったり、

私が死なせたようなもの。

だから人からそんなふうにいわれるたびに、苦しい。

その人も今介護する身になって、私の大変さが想像出来るんだと思うけど、

「違うよ。きれい事じゃなくてね、私はひどかった。

おしっことうんちの中で2人で泣きながら、お互い当たりながら、終りのみえない地獄を

彷徨ってたよ。ずっと、ずっと・・・。なんで私だけ・・・って。

それでも死なれてみればずっとずっと後悔しかない・・・以前にも増して地獄だよ。」

今だって、

あの地獄の日々でいいから、もう1度介護しなおせるものなら、やり直したい。

私が殺してしまった。

なんとかならないかと、今も私はもがいている。

父に生き返って欲しいというのでなく、死は受け容れていても、

私自身があまりにも情けなくてたまらない。

介護ということが無ければ、

再生したいという今の私は無い。


あの頃は、確かにつらかった。

介護に1日だって休みは無い。

この先、何年、何十年こんな日が続くんだろうか。私には私の人生はないんだろうか。

仕事をしている人は、お金をもらって、休みもあるのになんで文句をいうんだろうか。

本人は死にたい死にたいと毎日のように泣くし、私も死なせてあげたいと思うし、

精神科に寝たきりの人間はかかれないし、

私が行っても「本人が来ないことには・・・」といわれるし、

死にたい本人が病院に行く気になるわけないし、

頭の中は考えてもどうにもならないことの堂々巡り、

いつも真っ暗なトンネルの中をひとりで徘徊してた。


何が苦しいって、

介護には終わりがみえないってこと。

やっていることでなく、自分の居る場所のどの扉も開かれることがないっていう閉塞感。

私の人生はなんなんだろうって。

そん中、間違いなく私が父を殺してしまった。

私が気をつけていればあんなことにはならなかった・・・

そして私は誰にも裁かれない。しかも「偉かったね」としか他人からは見えない。

なにが、

どう、

偉かったというんだ。

私はずっと自分で自分を裁いている。

多分ね、他人には言い訳は出来る。

でも自分自身と、死んだ父には言い訳が出来ない。

許されない。

介護をしてる人たちが必ずいうのは「実際に介護した人にしかわからないよね・・・」

そうなのだ。

弱者相手に悪魔になってしまう自分を見てしまうのだから。

そして弱者もまた悪魔にもなる。弱者が権力を振りかざす。

弱者が常に弱いかといえば、弱者がもつ力もある。

弱者が天使、強者が悪魔、そんな単純な図式にならない。

その中でお互いが最低の人格をあらわにする。

いやもともと、自分が聖者であるわけもないのだけど。

ただ「お母さんがいなかったから1人で大変だったわよね。」と言われるとピンとこない。

多分母子家庭にしても「お父さんがいないから大変でしょ」と言われても

なんとなく違和感あるのではないかな。

大変なことは、誰かがいても、何人いても大変なんじゃないのかな。


近所の人は、母が早くに死んだことも、そのあと再婚して1年もせず離婚したことも、 父が海外いって私がひとりで暮らしてたことも、最期は難病の父をひとりで自宅で看ていたこと、みんな見てきているから、

「あなたは偉かったよね・・・」というけど

そんなの、私の10%も知らないからそう言うんだよ。

もし私の伝記をよその人が書いたとしたら、そういうところがクローズアップされるんだろうけど、

私はお墓の中でそうじゃないんだと100万回文句垂れると思う。

状況と実態は必ずしもイコールではない。

私は人に誇れるとこなんて何もない。

いや、ちょっとくらいはあるだろうけど。

というより、

もし天国と地獄とあって、

「私は天国だな♪」と言える人って、

どれくらいいるんだろう・・・

みんな何かしら罪を感じていると思う。

だけど、

人間の醜さは罪ではあるけど、

その罪がどれほどの悔恨と再生になるかはわからない。

私はそこから抜け出せずにいて、今も罪の中で生きているけど、

「私は立派に生きてます!」よりは、

なんだかよほど人間らしいとも思えるし、

この悔恨をズルズル引きずったまま一生を終えるのだと思う。

もっと何か出来たかどうかはわからないけど、

私の人を愛するという思いが足りなかった。

すべてはもう遅い。起こってしまったことは変えられない。

自分を責めて、責めて、責めて、

だからもう後悔しないように・・・って思ってる。

苦痛に歪んだ父の死に顔、バイクにはねられ顔に大きな傷を残して死んだ母、

親が命と引き換えに置いていったものは大きい。

ヒューマンエラーはある・・・

私は誰も責めること、出来ない。