悠久の片隅

日々の記録

深い河

昨日ジョギングの帰りすこ~しだけ、つくし採ってきた。

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カメラ構えてたら、犬が「なに作ったん?」と言いながら顔出した。

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つくしの佃煮はあげられないから、さつまいもを1個あげるね。

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深い河 (講談社文庫)

深い河 (講談社文庫)

『深い河』を読んだら、あーこれは遠藤周作だなーって思った。生き写し・・・

遠藤周作の集大成ではあるけど、決着がついているわけでなく、

命の続く限り人は悩み続ける。


たとえば、

会社などで、忙しければ忙しい時ほど、また、非常事態になった時ほど、

人の本性が露わになる。

無意識下にその人のもう1つの顔があらわれる。

周囲もまた無意識のうちにそれ見て器を判断する。

見る方、見られる方、それが人間の本性で、

日頃いかに温厚でも、いざという時に出る言動や身に纏う空気で醜さを表せば、

人は尊敬はしない。

醜さへの反感ではなく、日頃とのギャップに偽りの姿を見てしまうのだと思う。

どちらが本性でどちらが偽りかといえば、

どちらも同じくその人の姿で、

人は誰でも、自分自身でコントロール出来ないあるいは気づかない深い何層にもなる心を抱えている。

その醜さが罪も犯すが、

その醜さゆえ、救われもする。

とっさに表れた醜さは本人は然程に思わなくても、周囲との温度差が出来、

それを本人も周囲も背負っていく・・・・・

どう受け取り、どう背負うか。

そこから自己を省りみ救済、再生、になることだってある。

誰もがそういう面をもっていて、醜さと格闘し、醜さで救い救われもする。

人は、自分の意志で人生を歩いているのではないのかもしれない。

心のひだひだに埋もれた、自分では操れない闇に操られて壁にぶち当たり、

勇気を試されたり、喜びを得たり、

誰がどこでどう再生するか、放った石ころがどう作用するかは、誰にもわからない。

それが

キリスト文学に描かれる罪と再生の表裏一体の世界、

大乗仏教にある混沌と宿るアラヤ識の世界、

フロイトユングの深層心理に共通した世界で、

遠藤周作の描きたかった人の心の深い深い部分に思う。


人は、自分の周囲の人間に苦慮しているようで、

実は、周囲と相対する自分のそういった内面に苦慮しているようにも思う。

人間の心は混沌としていて、

割り切れたり、

言葉に出来たり、

解決のいくものではない。

この深い河の登場人物たちも、誰ひとり解決出来たわけではないと思う。

ガンジス河は、人の生、死、苦悩、すべてを受け容れ流れている。

「この女神はチャームンダーと言います。

チャームンダーは墓場に住んでいます。だから彼女の足もとには鳥に啄まれたり、

ジャカルタに食べられている人間の死体があるでしょう」

江波の大きな汗の粒がまるで泪のように残骸が点々と残っている床に落ちていく。

「彼女の乳房はもう老婆のように萎びています。でもその萎びた乳房から乳を出して、

並んでいる子供たちに与えています。彼女の右足はハンセン病のため、ただれているのがわかりますか。

腹部も飢えでへこみにへこみ、しかもそこには蠍(さそり)が噛みついているでしょう。

彼女はそんな病苦や痛みに耐えながらも、萎びた乳房から人間に乳を与えているんです。」

・・・中略・・・

彼女は・・・印度人の苦しみのすべてを表しているんです。長い間、印度人が味わねばならなかった

病苦や死や飢えがこの像に出てます。

長い間、彼等が苦しんできたすべての病気にこの女神はかかっています。

コブラや蠍の毒にも耐えています。

それなのに彼女は・・・喘ぎながら、萎びた乳房で乳を人間に与えている。これが印度です。

この印度を皆さんにお見せしたかった」


何層にも重なった心の奥底に、人種、世代関係なく潜んでいるもの、マザーボード

人は、生まれてくるまでは母親と一体で、

生まれてしばらくもその感覚が続いていて、

でもある時、母親と自分が別モノであることに気づく。

その瞬間から『寂しさを知る』と私は感じている。

寂しさの奥底には、人間はひとりなんだ・・・という絶対のものが誰にも流れている。

恋人も、かなり許容してくれる。

でも、すべてではない。すべてを受け容れてくれるのは母親と一体であったあの日あの時で、

それはこの人生でもう2度とない次元。

その母親がチャームンダーであり、ガンジス河なのだと思う。

だからインドの人はガンジス河に向かう。

ガンジス河で罪を贖い、ガンジス河に今生の身を沈め、そしてまたガンジス河から生まれ変わる。

次はもう苦悩のない生を承ることを信じて。


昔、糸井さんのゲームで『マザー2』ってあった。

友達に「ラスボスはどうやって倒したの?」と聞かれて、

「いや、とにかく祈ったんだと思う。祈りだけだよ。」と答えた気がするけど。

あのゲームは多分『マザー』という時点で、誰の心にも共感を呼ぶ何かがあったのだと思う。

混沌とした心の中で唯一誰の心にも共通するのが母親、もしかしたら子宮なのかもしれないけど。


遠藤周作は、キリスト信者でありながら、キリスト教への思いを99%の疑いと1%の希望と、

語っていた。

それがキリストと共に母なる河ガンジス河への帰結という形に至ったのかもしれない。

遠藤周作の思いを文学に託した『深い河』

今、ようやく受け取りましたよ。私も一生かけて悩み続けていかなければと、思う。

コチラも思い出して全部読んでみた。『深い河』の源流には遠藤周作のこんな思いがある。

心の夜想曲(ノクターン)

心の夜想曲(ノクターン)

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