悠久の片隅

日々の記録

<a href="http://ameblo.jp/fujiko-diary/entry-11290056839.html">バルタザール</a>

バルタザールはフランスのアナトールフランスの寓話。

芥川の翻訳はあまり美しくない。

でも他のどのロマンチックな翻訳より

言葉が足りないくらいの方が、伝わってくる・・・・・不思議。

私が一番感動したのはこの文章。

王は愛するすべての物を失つたので、一身を智慧に捧げて魔法師の一人にならうと決心した。

此決心は格別王に快楽を与へなかつたにしても、

少くとも平静な心だけは回復してくれたのである。

ねっ。直訳のヘタクソな文です。全体こんな感じ(笑)

王(バルタザール)は愛するシバの女王に弄ばれて捨てられた。

傷心の王は、天文学を学ぶこと(知恵)に生涯を捧げようと決心した。

その時、ようやく平静な心持ちになれた・・・

ほとんどの人はココが一番好きとは言わないと思う。

でもこの時、王がどれほどの地獄をみていたか私には痛いほど感じて切なくなる。

沈んだ心から救われようと快楽を求めても、実はそこに救いはない。

逃げてもそれは一瞬の救いなだけで、傷は開いたまま麻薬でごまかしているだけ。

目が覚めればまたそれ以上の痛みに襲われ、麻薬を用いたことの罪悪感にも襲われかねない。

なんの解決にもならない。

マイナスになった心をプラスにするものなどない。

そうでなくて、

心をまずニュートラル(平静な心持ち)にもっていくしかない。

別になんも楽しくは無いけど、それ以外救いの道はない。

平静な心というものが、何かを手にして満たされた心より、どれだけ真実で、有り難く、

誠実なものか。

それを知っている人間と、知らない人間では強さが違ってくる。

そしてその平静な心持が、その後の自分の一生を救う。

平静な心を手にいれる方法は、

無いよ。

あるんだろうけど、

ひとりひとり違うと思う、自分で見出すしかない。

ましてエロスは、エロス以上の歓びはない。そこは私も認めます。

道徳を幾つ並べ立ててもエロスの前では人間は敗北と絶望しかない。

バルタザールは天文学占星術)、星を眺め、ナイル川を眺め、ヤシの木やワニを見て、

学び、迷いながらも、心を取り戻していった。

これは、別にそういう話ではないけど

最後にキリストが生まれるところに導かれるとこが本筋なのだけど、

「他に恋人を見つけて幸せになりました。」ではないとこが好き。

バルタザールは、この後もきっとスッパリ彼女を忘れたとは思わない。

傷を引きずり、その傷を時には眺め、涙しながら、自分の歩むべき道を進んでいったのだと思う。

人にはすべきことがある。それ以外に生きる道は無い。

ところで私はわからなかった。

なんで上手な翻訳よりこの芥川のヘタな翻訳の方が心に沁みるか。

そしたら養老先生の本にあった。

母国語だと修飾が多くなる。修飾を削ると物質の本質をズバっと掴むと。

「ものすごくヘタ。それがいいんだよ。」と。

この本のことではないけど、そっかそっかと思った。

私はこの本を、文芸というより、哲学書のように読む方が合ってたんだと思う。

受け取り手によって、誰の翻訳がよいかは一概には言えないんだって思った。