悠久の片隅

日々の記録

<a href="http://ameblo.jp/fujiko-diary/entry-11319167143.html">日本柔道</a>

毎日、オリンピック柔道楽しみに見てた。

柔道面白い♪

ジムで、押さえ込みされたことあるけど、ホント動けないわ。

見ているとなんてことないのに、実践してみないとわからないものだ。

その時聞いた話しに、柔道はほんとみんな吐きながら練習してるんだと。

それほどキツイんだと。

武士道とともに生きる/奥田 碩

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これは柔道の山下泰裕トヨタ自動車元社長奥田碩の共同著書。

こういうものを課題図書にして読ませないと、日本はダメなのではないかな。

世界のトップを張った2人から学ぶことを何故させないのか、日本は不思議な国だ。

この本の中で姿三四郎のセリフが掲載されている。

『「先生、負けてもいいのですか」

三四郎はせき込んだ。

「よろしい。要はお前が、鉱道館(こうどうかん)柔道の立派さをこの試合に残してくれればいいのだ。

勝敗を超えて、その技術を道場の上に記録すればいいのだ。

世間的には西日本の柔術に東日本の柔道が地位を譲ったことになるかも知れん。

それでいいではないか。柔道は政治ではないからな」』

山下が日本代表監督を務めた時目指した「最強の選手でなく、最高の選手づくりを」は、

このことなのだと思う。

日本柔道の心は、

勝者が敗者を思いやり、尊ぶこと。敗者の名誉を傷つけない。

これは、世界平和に繋がる大切なことなのです。

山下は小学校の時いじめっ子で、問題児で、親が道場に行かせた。

そこで教わったことが

道場を離れたら自分の強さ、武器を示す人間にはなってはいけない

本当に強い人間というのは、強くなればなるほど、優しくなれるものだ。

能ある鷹は爪を隠す、

柔道のチャンピオンだけでなく、人生の勝利者を目指せ。

柔道は組み合うことで、友達も出来やすい、

礼に始まり、礼に終わる、勝つ喜び、負ける悔しさ、

投げられる身体の痛みを知り、相手の痛みを想像出来る、

人間としての強さ、優しさを身につける、柔道とはそういう力がある。

そうした教えを受け、中学2年の時には、

オリンピックで勝つこと、そして引退した後は、

柔道の素晴らしさを世界の人々にひろげられる、そんな仕事がしたい旨を

作文に書いてたというのだから、柔道のそして恩師の影響はすごい。

中学2年で引退後の人生をまっすぐ見つめているとこは、すでに悟りの域なのでしょうね。

大きな試合に望む時には、死ぬかもしれない覚悟で身の回りを整頓してから望んでいたという。

今、国際的な会議には英語で話すという。文武両道とは、その必要があるからに思う。

柔道はスポーツのみならず、人の生きる道なのだと思う。

山下はいう。

いじめっこも、いじめられっこも、柔道場に来て欲しい。

だましてでも連れてきて欲しい。

ありあまるエネルギーをもっともっと価値ある方向に転換して欲しい。

奥田は自分の大半は、書物と柔道によって作られたという。

姿三四郎は、人格形成の教本。あらゆる倫理が詰まっている。

柔道を倫理観、死生観に繋げてみている。

悩んで行き詰まるような時は、最後は「死ねばいいんだ」と、それはやけくそな気持ちではなく、

「どうしようもないほど苦しくなったら、あとはもう、なるようにしかならないんだから、

なるようにしかならないということを自分に言い聞かせていろんなことをやればいい」

その境地。

精一杯努力しても結果はなるようにしかならない。

死ぬ時は死ぬしかない。その覚悟。

そして、自分も会社の面接をすることもあったが、

光ってる人、向上心をもち続けて生きている人は、直感でわかるという。オーラみたいなものがあると。

人が積み上げてきたもの、抱いているものは、姿に表れる。

私もそのように思う。かえって隠す方が難しいのではないかと。

それは、顔とか姿勢とかの形でなく、漂うもの。発するもの。そういったものではないかな。

アメリカは、確かに世界一の強国で、

でもその強さを誇示するから、他から反感を買う。

強い者ほど弱者に優しく、強い者ほど奢ることなかれ。

この柔道の精神に気付いて欲しい。

とにかくこの本の大切なモノを書き出したらキリがない。

柔道もビジネスも人の生きかたも世界もすべて一緒。

いつか姿三四郎を読まないと・・・です。