悠久の片隅

日々の記録

<a href="http://ameblo.jp/fujiko-diary/entry-11319538263.html">ギフテッド</a>

ギフテッド(タレンテッド)

最近オカルト小説を読んでてこのことばを知った。

ギフテッドは、先天的に高い能力を持っている人。要するに生れつきの天才的智力や芸術能力をもつ。

異常なほどの熱情、並外れた集中力、そして、一般人とは一風変わったふるまいが見られる。

と、ある。

普通であるべき行為が心から自然にできない、

相手の考えていることがわらない、相手の感情・欲求・反応などを考えすぎるあまり

行動に一貫性がなくなる、などの対人距離、反社会的反省に常に駆られ、

状況を把握出来ない。

感情や五感への傷みを避けるために敢えて集団から離れ、孤独に陥ってしまう。

一般社会的な生き方から受動的・破滅的に離れてしまうことで、

行為の主体性を喪失するため精神病や自殺を引き起こす可能性がある。

このすべてが太宰治にあてはまる・・・・・・

モーツァルトも近い。

太宰がもつ苦しみや悩みはどこからくるものなのか。

母親の育児放棄、幼い日の下男下女からの性的虐待、党からの脱藩とも言われているけど、

なにか釈然としないものがあった。

彼はギフテッド、生まれもっての資質という正体のわからぬ自分の敵と闘っていたんだ。

先天的なものと闘うのは無理だ。あまりに悲劇。

人間失格の第一の手記で

『恥の多い生涯を送ってきました。

自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。』

これは大袈裟でない。多分彼のそのままの心。

彼は常に針の上を裸足で歩くような地獄に生きていた。

太宰がよくダンテの神曲を読んでいたというその心情も、

彼は地獄(恐怖)の歩き方を知りたかったのだと思う。

『善三蔵を思う』という作品がある。

そこに太宰の思いがよく出ている。少し長いけど引用します。

『暁雲は、あれは夕焼けから生まれた子だと。

夕陽をなくして、暁雲は生まれない。夕焼けはいつも思う。

「わたくしは、疲れてしまいました。わたくしを、そんなに見つめては、いけません。

わたくしを愛しては、いけません。わたくしは、やがて死ぬる身体です。

けれども、明日の朝、東の空から生れ出る太陽を、必ずあなたの友にしてやって下さい。

あれは私の、手塩にかけた子供です。まるまる太ったいい子です。」

夕焼けは、それを諸君に訴えて、そうして悲しく微笑むのである。

そのとき諸君は夕焼けを、不健康、頽廃(たいはい)、などの暴言で罵り嘲(あざわら)うことが、

できるであろうか。

できるとも、と、言下に答えて腕まくり、一歩まえに進み出た壮士ふうの男は、

この世の大馬鹿野郎である。君みたいな馬鹿がいるから、いよいよ世の中が住みにくくなるのだ。

 おゆるし下さい。言葉が過ぎた。私は、人生の検事でもなければ、判事でもない。

人を責める資格は、私に無い。私は、悪の子である。

私は、業が深くて、おそらくは君の五十倍、百倍の悪事を為した。

現に、いまも、私は悪事を為している。どんなに気をつけていても、駄目なのだ。

一日として悪事を為さぬ日は、ない。

神に禱(いの)り、自分の両手を縄で縛って、地にひれ伏していながらも、ふっと気がついた時には、

すでに重大の悪事を為している。

私は鞭(むち)打たれなければならぬ男である。

血潮噴くまで打たれても、私は黙っていなければならぬ。

夕焼けも、生まれながら醜い、含羞の笑を以てこの世に現われたのではなかった。

まるまる太って無邪気に気負い、おのれの意欲すれば万事かならず成ると、

のんのん燃えて、天駆けた素晴らしい時刻も在ったのだ。

いまは、弱者。

もともと劣勢の生まれでは無かった。

悪の、おのれの悪の自覚ゆえに弱いのだ。』

実際こうして相手にすぐキレては、自分の感情をコントロール出来ないことを宿業、

罪と意識し日々苛まれていた。

この悪の自覚(罪悪感)の中で生きていくには、お酒と薬が必要だったのだと思う。

多分、女のことなど、本気で愛していない。愛し方がわからない。

彼には自己愛しかない。繊細で今にも壊れそうな自分を守るための自己愛。

そして自分が傷つかないように、相手に無理に合わせ、その距離感がわらなくなる。

キラキラした太陽に向かって生きている石原慎太郎は、太宰が嫌いだ。

石原慎太郎には、太宰の弱さが理解出来ない。

才能があって、若くして芥川賞をとり、女性にモテて、

何を言おうと陰口のみで罷免もされたこともないということは、勝ち続けているのだ石原は。

そういう人間が、弱い人間に共感出来ないのは当たり前で、それで批難されるのも彼の宿業。

でも、いつか・・・共感出来る日もくるかもしれない。

三島は、太宰の苦悩などかんぷう摩擦で解消されると言った。

いやいや無理だ(笑)

やはり、志賀直哉の言ったことが適切な気がする。

『崖の上に立ってる人のことは、崖に上がってみなければわからない。』

太宰に人間失格のレッテルを貼ったのは世間だ。

その中で彼は生きた。死にながら生きていた。限界だった。

この物語のラスト。

『悲しみは、金を出しても買え、という言葉が在る。

青空は牢屋(ろうや)の窓から見た時に最も美しい、とか。感謝である。

この薔薇の生きて在る限り、私は心の王者だと、一瞬思った。』

一瞬なんだ・・・

哀しい・・・

※ギフテッドに関して曖昧な知識しかないので誤りがあるかもです。すいません。