悠久の片隅

日々の記録

<a href="http://ameblo.jp/fujiko-diary/entry-11320774416.html">太宰 治</a>

人間失格』を読むのは4度目。

若い頃は、この暗さを受け入れるのには、あまりに自分も自分の周囲も明るかった。

読書には、本より自分の背景の方が大きい。

今は、暗さと言うより太宰というひとりの人間を受け入れてる。

この真っ暗な小説の中、唯一太宰が『幸福』ということばを使うところがある。

侘しさ漂う女と一晩過ごす場面。

その人に寄り添うと、こちらのからだもその気流に包まれ、

自分の持っている多少のトゲトゲした陰鬱の気流とほどよく溶け合い、

『水底の岩に落ち附く枯葉』のように、

わが身は、恐怖からも不安からも離れることができるのでした。

水底の岩に落ち附く枯葉・・・ということばの響き、写実、

ものすごく地味なところの微かな安定、

その安らぎを与えてくれる時間にさえ太宰は脅える。

弱虫は、幸福をさえおそれるものです。綿で怪我をするんです。

幸福に傷つけられることもあるんです。

傷つけられないうちに、早く、このまま、わかれたいとあせり、

れいのお道化の煙幕を張りめぐらすのでした。

太宰にとって、この世は、恐怖と不安しかない。

太宰は陰のあるイケメンで、モテる。

それなのにその幸福さえ恐怖の源。世の中すべてに対して臆病なのです。

太宰は、女心はミミズの心よりわからないと言う。

なんというか・・・恐怖は度を超えると滑稽になる・・・

そういう部分が多々ある。本人は真剣なのだが妙に悲しくおかしい。

走れメロス

「私を殴れ。」とお互いの頬を殴りあい、

「ありがとう、友よ。」と抱き合い、おいおい声を放って泣く。

セリフは超臭いが、いい話だ・・・

で、現実の太宰は、

檀一雄と熱海の宿で遊びすぎてお金が足りなくなり、檀を人質として宿に残し、

太宰は井伏鱒二にお金を借りにいく。

だが、待てど暮らせど太宰は戻ってこない。

しばらくして、檀が井伏を訪ねていくと、太宰は井伏とのんびり将棋をうってた・・・・・

将棋をうちながら、(戻らないと、檀は困るだろうなー)

などと考えながら、(俺だって困ってる。借金を言い出しにくいなー、どうしようかなー)

と、『まったく走らないメロス』状態。

この状態で『走れメロス』の構想を練っていたとすると・・・・・

笑えない喜劇だ。

そうして、太宰は、周囲から孤立してしまう。

『ダス・ゲマイネ』

この中に出てくる男たちは、ひとりひとりが皆太宰そのもの。分身。

4人の男、すべてに自分を投影している。

「自尊心の高さには、ぞっとするが、あいつの絵だけは認めなければいけない。」

そう語る部分があるが、

これは芥川賞落選の時、川端康成に「作品は素晴らしいが素行が悪い」と、なじられたことへの

太宰なりの定義なのでしょう。

芥川龍之介を少し可哀そうに思ったが、なに、これも「世間」だ。」←どこかで読んだこの太宰のことば。

こういうとこが世間から物笑いのタネにされてしまうのだろうけど、本人は本気だ。

太宰の自惚れの強さと執着はハンパない。

そして自ら「恥の多い生涯」というように、自己愛と自己反省が繰り返されていく。

ダスゲマイネに話をもどすと、

この作品には『太宰治』という人物が登場する。

太宰「ライト。爆音。葉。信号。風。あっ!」

あっ!ってなんだ・・・・・?

と思うと、

その「あっ!」の瞬間、太宰は電車にはねられたのだった。

男たちは太宰の死を悼むが、最後のセリフは

「人は誰でもみんな死ぬさ。」

あっ!の一言で自分を殺してしまう・・・恐るべきインパクト。

斜陽・人間失格・桜桃・走れメロス 外七篇 (文春文庫)/文藝春秋

¥690
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以上はこの1冊より。

「斜陽」「人間失格」「ダス・ゲマイネ」「満願」「富嶽百景」「葉桜と魔笛」「駆込み訴え」「走れメロス

トカトントン」「ヴィヨンの妻」「桜桃」

これは太宰の代表作品といえるラインナップです。